2017年9月17日日曜日

四〇歳

40歳になってしまった。




40歳らしく腰痛に悩まされていて、年齢相応な気もするのですが精神的には「まだまだ」と言う気がします。

縄文時代は15歳で死亡。

江戸時代は30代で死亡。

そう考えると人間と言う生物としては私は長生きし過ぎているワケで、思えば何度も死の可能性があったにも関わらず生きております。


人は生きているのではなく、『生かされている』のだと思います。それは神でも悪魔でもなく、自分の周囲の人々や、友人、恋人、親族、その他。


皆様、私を生かしてくれて有り難うございます・・・と書くと皮肉に聞こえるのは不思議ですが、皮肉ではないのです。


思えば、40年間も生きているのですから何度も「死」と言う可能性はありました。思えば、あの時に死んでいたら、どうだったんだろう?と思います。

世界はパラレル・ワールドですから『私が死んでいる世界』と言うのもあります。

私の周囲で亡くなった人もいます。でも、私は何故か生きている。


不思議なものです。


思えば『生きている』と言うことは不思議に満ちています。
40歳になっても身体の殆どが稼働可能であり、特に痴呆症が出ているワケでもなく、美術作品を見れば「美しい」と感動する事が出来、音楽を聴けば心の海が、満潮のように満たされる。
そう言う事が素直に出来るようになったのは長い年月が掛かりましたが、そう感じることが出来る為に人間は年月を重ねる必要があるのかも知れません。

私の『生』を認めてくれている皆様へ感謝の言葉しかありません。


皆様へ幸がありますように。

皆様へ少しでも良いから「良いこと」がありますように。

もう少し、良い音楽を作りたいと思っております。

今後共、よろしくお願いします。

2017年8月24日木曜日

ナザレ地方のキリスト君

新約聖書を読むと色々と面白い。






純粋に信仰心で読むと堅苦しい書物なんだろうが、テキトーにダラダラと読んでいると面白い箇所が出てくる。

2週間前に飯を食いながら読みなおしてみると「あれ?」と言う箇所があった。



ナザレのキリストは布教中に何度も死者を蘇らせている。

①会堂長ヤイロの娘を生き返らせる(マルコ 5:21)
②ナインという町の門に近づくと、ある未亡人の一人息子が死んで棺が担ぎ出されるのを見る。イエスはこの母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と告げ、棺に手を触れ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言うと死人が起き上がってものを言い始める。(ルカ 7:11)
③ベタニヤでイエスは涙を流しラザロを生き返らせる。 (ヨハネ 11:1)


この部分である。


キリストの活動の布教する際のテクニックとして、ある程度(桁外れの?)の医学的な知識があったかと思われる。

聖書では「触れただけで治る」みたいなモノがあるのだが、何しろ2000年以上前の書物なので実は医術が得意だったのではないか?と言う気もしてくる。

勿論、キリストと言う人物に不思議な力があった事は確かだろうが、ゲームの『チート・コード』みたいに「なんでもかんでも」と言うワケではないだろう。

それにキリスト教が難解でストイックさではハードコア過ぎる内容なのに庶民の支持を得たのは

『病気などの祈祷が無料』 

『効果てきめん!』 

の2点である。しかも、食事付き。

其の頃にも病気はあって、其れは祈祷師が彼是と呪文を唱えて治るのか、治らないのか。しかも、高額だった。
だが、キリストのコスパの良さは最強である。

何しろ無料だ。

中には香油で髪を洗った女性もいるけど、こいつはキリストのカノジョだからな。


じゃあ、その庶民達がその後もキリストを信仰していたか?っつーと、誰も信仰してない(キリスト教がヨーロッパで定着するのは11世紀〜13世紀頃)。

私の見解ではキリストの言葉や、性格、その能力や宗教的狭義を直系の弟子の中で唯一、理解し、信じていたのはユダだけだ。



12使徒達はキリストの命令で布教を「ソロ」で行う事もあり『奇跡』と言う名の医療知識を授けられたのではないか?と思う。

キリスト自身が持つ超能力みたいなモノを誰もが受け継げるワケではない。





『キリスト=医学者』

と言うのは日本で言えば戦国時代に活躍した錬金術師である『パラケルスス』が

『賢者の石』

を多用した、と言うが実はペニシリンだった説ってのがあってだ。ペニシリンと言うか『世界で初めて抗生物質』を使った、と言うのが大きい(医学も科学も錬金術の一種だ)。



だが、キリストの『最強無駄伝説』は『死体を蘇らせた』だろう。


何しろ、此れほど『無意味』で『意味が分からない』奇跡は此れしかねーんだわ!。

其のくせ、「なんで貧乏人ほど奇跡を見たがるのかねぇ。俺はマジシャンじゃねぇよ」とボヤいている。

だが、死体を(クソ暑い中東で死んだので4日目で腐って、死ぬほど臭くなっている死体)蘇らせる。


此れは可成り、重要な部分なんだよな。



此れは恐らくキリストと言う『人物』の『神への挑戦状』と言うか唯一の『反逆者』なんだよな。


何故なら人の死、破壊、もろもろは予め神が決めている事だからキリストに死者を蘇らせる権利はないのである。

生前のキリストは『神の使者』であったかも知れないが神ではない。聖書には

「私が来たのは聖書の教えを完璧にするため」

と聖書完全攻略のためである。だから、あくまでも『預言者』どまりで、もっと言えば『牧師』みたいなもんである。

キリスト教以外にも、当時は旧約聖書(ユダヤ教)をベースとした宗教はゴマンとあっただろう。その多くは宗教団体と言うよりもテロリスト・グループだった可能性が高い(熱心党のシモンが良い例)。
だから、キリストと言う人は「数多くのグループの一人」でしかなかった。


で、死者復活ですよ。


此れが何がヤバイか、って言うと『死者を蘇らせる』と言うのは神から選ばれた人だけの、神だけが持つ特権なんだよな。
だから庶民を蘇らせる、ってのは『神の特権』を勝手に行使した事になる。


新約聖書を読めばキリスト自身は「俺は神だ」とは一度も言ってない。ユダヤの王とも言ってない。ただ、「神に使わされた」としか言ってない。


じゃあ、なんでキリストが人を勝手に蘇らせたのか?って考えると、此れも面倒なんだけども、どう考えてもキリスト自身の「神への疑心」「神への反抗」としか考えられない。

理由としてはキリスト自身は『書物』『文字』を残していない。キリスト教が本来、言葉だけの宗教であるにも関わらず、だ。

キリストが『何かを書いた』事は聖書では一度しか無い。だが、誰も「キリストが何を書いていたか」を記述していない(文字が読めない弟子が多かった可能性が高いが。文字と数学が出来たのは弟子の中でユダだけ)。

キリストは「神から遣わされた」事を疑う事はなかったが、キリストは『神の名前』を教えてもらってない可能性が高い。

神の名前は旧約聖書に少しだけ出るが『聖四文字』と言う『ヤハウェ』『ヤーフェ』『ヤハヴェ』である。
この神の名前は旧約聖書にはモーゼだけが知っている。だから、モーゼは『神に呼びかける』事が可能だった。

しかし、キリストは「名前を知らないから呼びかける事」が不可能なのである。だからこそ、磔になる前に

「主よ!私を見捨てるのですか!」

と嘆くのだが(多分、罵倒に近いんだろうが)もしも、神の名前を正確に言えたのであれば磔でも「無痛」とか色々と出来たはずなんだが(磔の刑って当時の処刑方法としては、最大の苦痛と、その苦痛が長続きする事で最強最悪の刑だった)、やっぱり痛い。


だから、キリストと『神』って緊張感がある関係性と言うか、距離を置かれている、と言うか。

その緊張関係の中でキリスト自身は

「じゃあ、俺も神の真似事をやってみるか」 
「ほれ、俺でも出来るだろ?」 

と言うか。




キリストは布教活動をやり始めた頃・・・もっと言えば幼年期から自分がどう生きて、どう死ぬのか分かっていた。
だから、苦行中の悪魔の誘惑へも悠々と断ることが可能だったはずで。

神の名の下に死ぬこと、フルボッコにされる事は喜ばし事である、と言うのがキリストだが、その第一号が自分なのである。

遠藤周作の『沈黙~サイレンス』や坂口安吾の『イノチガケ-ヨワン・シローテの殉教ー』を読めば

『神の名による大々的な死』

が、布教においてどれだけ効果的か、または効果的だったか分かるが、キリストは第一号だから、其れがどうなるのか分からない。
しかも、磔の刑って言うロシアのKGBでも裸足で逃げ出す凄い処刑方法なのである(何しろ死ぬのに長くて1週間、早くて3~4日かかる。磔されると、まずは関節の脱臼って言う嫌なスタート)。


それが前提としての「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか!」なんだよな。


この言葉はキリストが盲目的に神を信じていたワケではない、と言う事を暗に示している。

『神への反逆者』

と言う事で言えば、キリストと言う人は『ヨブ記』における『ヨブ』自身とも言える。だが、ヨブと違ってキリストには生きているに『良い目』に合うことがないのである(2000年前の30歳が20代のカノジョが出来る、と言うリア充な時間はあるが)。

ヨブが神へ恨みつらみを言うように、キリストだって、そりゃ言いてぇさ。


恐らくキリストが「神」の存在を確信するのは其の直後だろうな。死ぬ直前に

「・・・終わった・・・」

と言うのだが、其の際に漸く自分が与えられた役目が終わる(神「おつかれーっす!」)事を知る、と言うか。



新約聖書は『聖人キリスト』ではなく、やはり『ナザレのキリスト』の物語なんだよな。


キリストは聖人君子でも、人一倍、強い人でもなくて、其のへんのオッサン(35歳)と変わらないんだよな。

2017年8月20日日曜日

地獄の東陽町

8月18日。



『エリザベスがやってきた!』

と言う公演の為に、東京最悪の土地である『東陽町』に行ってきた。



東陽町がどんな処か知らない人は多いだろう。大体、『用事があって行く』ような場所ではないし、もしも『用事がある』人の大半は刑務所に入った事がある、刑務所に入る予定、刑務所から出てきた人しかいないからだ。

何しろ大手町駅から、こんな列車に乗らなくてはならないのである。

(東陽町行きの東西線)





で、改札に行くと隣接する八丁堀や日本橋・・・つまり東京都と激しい交戦が続いているので駅などの主要地域は米軍が占領しているのだが、この有り様。

(東陽町駅:トニー・ベネット少佐)




改札に行くとアサトライフルを握った米軍がいるんだから普通は驚く。だが、私が嘗て、東陽町で働いていた時の駅長はこの人だった。

(元・東陽町駅長:高山悟/2014年殉死)




こんな人だから『キセル』なんてしようものなら、其の場で殺される。出勤していた頃はPASMOのタッチが弱くて「あれ?」となった途端に目の前で人が殺されていたので、改札を潜る時は用心しものである。
PASMOと、都内であるにも関わらずパスポートを提出しなきゃならないし、面倒なモノである。

だが、すぐさま殺されないだけ(米軍は優しい)マシなのかもしれない。


しかし、駅から一歩でも出ればこの光景。

(東陽町内乱により負傷した市民を救助する米兵)


(東陽町駅前)




(東陽町駅前のよくある風景)


(東陽町青年団の日常)


(鮫島試験場での風景)



殺伐としている。ってか、なんで東京都なのに黒人ばかりなんだ。未だに理由が分からない。

携帯電話の電波は入らない。入らない、と言うか『非常に入りにくい』と言うか。au、ソフトバンクは全滅。
docomoは何とか入る。だが、ドコモの電波を拾うにしても、こんな苦労をしているらしい。

(東陽町の携帯電話事情)







で、東陽町駅から車で3時間。此れが『東陽町』の『.kiten』である。

(東陽町『.kiten』)


写真で分かるように一階から4階までは自衛隊による絨毯爆撃で破壊されているので『マンションのリビング』とは言っても階段で最上階まで上がらなくてはならない。

エレベーターは5年前の空爆により、未だに動かない。




で、会場に到着したら『板垣あすか』と言う人がヒャラヒャラと喋っている。

で、尺八の音が聞こえるのだがスコット・ジョーダン。当日は琴ではなく尺八と三味線。

暫くしてエリザベスが登場。

妙にテンションが高い。


話によると、エリザベスはポール・ダンスのコンクールの審査員を務めるような人らしいのだが(あくまでも『らしい』である)彼氏がエリート・サラリーマンで、日本駐在員として4年契約で日本に滞在。
その彼氏を追いかけて時折、日本に来るんだとか。まだ2回目だが。

エリザベスは露出度が高い格好で来たが、facebookではこう言う感じなんだろうなぁ~と思っていた。



なんと言うかセクシーな女性、と言うか。


だが、現物は


「なんだよ?この『まな板』は」

と言うか。南米ペルー出身でNY在住なんだが、マヤ文明、インカ帝国の末裔が

『ベニヤ板』

『鉄板』

『まな板』

『ラップトップ型PC』

『ipad』

『垂直落下式』


と言う程、バストがない。


頭の中で『泳げ!たいやき君』の替え歌がリフレインする。


『無ぁい乳/無ぁい乳/ノーブラ、ぺったんこー♪』




で、月読彦さんがいるんだが(ハコのオーナーだしな)、実は一度だけ話したことがある。
『話したことがある』と言うより、突然、一方的に話しかけてきて「なんだ?このオヤジは」と思った覚えがある。


で、歯が大半、抜けている為か、言っている事が分からない。


「えーっと、彼がコドナ君。彼は喧嘩っぱやいから気をつけてね」

と受付の女性に冗談を言っていたのだが、

「ふぇーと、かえがコロナくー。かぇーはくぇんかっぷぁいかぁ、きーとぅけて」

とタガログ語にしか聞こえない。本当に、こんなふうにしか聞こえないのである。

月さんってフィリピンから来た人なのか?と思い

「え?」

「へぇあ、りょーらん」(いや、冗談)

「え?」

「へや、へや、りゅーらん」(いや、冗談、冗談)

「え?」

「やや、りょーらん、りゅーらん」

「え?」

「『かぇーはくぇんかっぷぁいかぁ、きーとぅけて』くぇゆぅんだんやけー、りゅーらん、りょーらんらけぇー」(えーっと、彼がコドナ君。彼は喧嘩っぱやいから気をつけてね、と言ったのだが冗談だから)

「え?!」


と何度も聞き返すので私は怖がられてしまった。(結局、意味はパーカッションのヒラさんが翻訳して伝えててくれた。ヒラさんはスパニッシュ音楽をやる人なのでスペイン語が話せるのだが、スペイン語に似ているのだろうか。)

まぁ、好まれても仕方がないが。



で、開演。

最終的に8人が来た。あの東陽町駅から来るのは可成り、大変だっただろうなぁと思う。
何しろ夜8時以降は厳戒令が未だに発令しており、不用意に出歩いていると米軍か自衛隊か東陽町住民に拷問の末、射殺される町なのだから。



だが、演奏は良かったかな。


アンビエント的になるかな、と思っていたんだが意外とノイジーな音作りになったと思う。

アコースティック楽器でノイズってのは良かった。





尺八と三味線がスコット・ジョーダンだったのだが、其れは別に良い。

本番中に、TPがあまり調子が出なくて(夏場は夏バテで調子が出にくい事)スコット・ジョーダンが尺八を加えているから、ソロを振るのだが、何故か尺八を加えたまま硬直している。

「おいおい、本番中に硬直してんじゃねーよ」

と思ったのだが、此れは私のミスで



スコット・ジョーダンって生粋の天然(丁寧な言い方)なんだよな!!!!


何しろfacebookに掲載している写真が此れである。


撫で肩の分際で、タンクトップ一枚!!!!


こんな格好、80年代NYのガチホモすらしねーだろ?。
田舎の貧民窟の末っ子か?


当日はジャケットを着ていたが、スキー・ジャンプ台のような撫で肩なのでダボダボになっていた。B−boyかよ、って言う有り様だった。

まぁ、彼の雅楽器へのアプローチ方法は言いたい事は沢山あるのだが、全体的に悪いモノではなかったから良いかな。




あ、そうそう。

.kitenの受付の女が突然、参加表明を出す。ってか、キモくて臭い月読彦さんが

「カノジョは詩を読むから参加させてくれませんか?」
(原文:ふぁのろふぁ、ひおやゆかぁ、すぁあんかえもいー?)

と言ってきて『突然の強引な売り込み』に流石に鶴さんも

「ええ?!」

とドン引き。ってか演奏組もドン引き。


だが、詩の朗読くらいなら・・・演奏のツマくらいには・・・邪魔にはならんだろうし・・・詩と言っても『俳句』とか『川柳』『和歌』かもしれないし・・・とOKになった。



『頭部がデカイ』

『ヒラメと同じくらいのバストサイズ』

『お腹ぽっこり』

『手足は全盛期のボブ・サップより太い』

『アングラ演劇に居そうなタイプ』



「あの、歌っても良いですか?」と言い始めた。はぁ?と言うか。


うた?うたってもいーですか?。


歌と言っても伴奏とか出来ねぇぞ。で、鶴山さんが「えーっと・・・(冷や汗)歌っても良いけど全体的に2割程度に押さえてください」と指示を出す。


で、本番中に詩を読み始めたのだが、アングラ演劇の1000000番煎じみたいな詩でさ。

「あなたが昨日、食べたモノはぁ!あなたの昨日の時間なのよぉ!あーはっははっはっは!」

とか。そんな詩と言うより『アングラ演劇のセリフ』をiphoneを読みながら言うんだよな。其れはねぇだろー、と思った。

で、歌は2割程度のしてくれ、と指示があったのに朗々と、高らかに、国歌斉唱をする自衛隊員のように歌い上げる。しかも、止まらない。
其れが法だと言わんばかりに歌いまくる。



で、終演。



鶴さんは

「1000円でフリードリンクで、フリーフード」

因みにフリー・フードはオーナーである月読彦氏の手料理らしい(事前情報)



最初に出てきたのがスパークリング・ワイン。


板垣あすかさんが「これ、ワインなんですって!美味しいですよねー!」と言っていたが、いやいや、フツーに不味い。

「なんだ?このションベンみてぇな液体は」

と思ったほどで。尿にアルコールを溶かしたものを出したのかと思った。
その後にビールが出てきたのだが、何処で仕入れたのか分からないクソ不味いビール。


フリーフードなのに『枝豆』。

「フリーフードが枝豆ねぇ・・・」

と言っていたら、今度は「これ、サラダですー」と言う。だが、見た目は

『生ゴミにマヨネーズをぶちまけました』と言う感じ。

同席した人に

「酷い見た目ですよね・・・。なんて言うかミシシッピとかニューオリンズの黒人料理とか、妙な地域の妙な村の、妙な郷土料理みたいな・・・」

「wwww。ってか、あれ、ドレッシングとマヨネーズが混ざってないですよねwっw」

と話す。食べたくなかった(食べた翌日に生存出来ている可能性が低そうだったの)ので放置していたら、カホンの人が「どーぞ、どーぞ」と持ってくる。

基本的にドラムとかパーカッションの人って「気遣いが良い人」が多い気がする。其れで「どーぞ、どーぞ」なんだろうが。


で、食べてみるとサラダとは名ばかりで、9割が『パスタ』である。何時からパスタが『サラダ』になったのか3時間くらい問い質したい衝動に駆られる。

頑張って食べて(味は不味いに決まってるだろ)、ギターの人と彼是と話していたら、今度は水餃子が出てきた。

水餃子は好物なので食べてみる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ま・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ま・・・・・・・・・・・・不味い・・・・!!!!・。




『不味い水餃子』

って初めて食べた気がする。何しろ臭い。皮の中に一体、何が入っているんだ。


思えば開演前に、スペースにゴキブリの死骸があったんだよな。其れを月さんが「あ」と言って発見していて、見つからないように『手掴み』で処理していたんだが、其れなんだろうか?。
「折角だから精がつくだろう」
と思って入れたとか?。私の祖母は戦前の田舎の人なのでゴキブリを食べていたが(北九州市は妙なモノを食う人が戦前は多かったらしい)、其れなんだろうか。勘弁して欲しい。


ってか、『手料理』と言えば聞こえは良いが、手料理が旨い奴が歯槽膿漏症で歯が抜けたりしないよな。

「・・・こんなクソ酷い飯、食ってりゃ、そりゃ歯も抜けるよなぁ」

と思った。



で、志賀のオッサンがカホンを悦に浸りながら叩き始める。煩くて仕方がない(楽器の不思議な処は下手な奴がやると煩く感じられる処である)。

それを今度は、能面のような顔の女が皿を片手に踊り始めた。


「嗚呼、地獄のような光景だな」


と思って帰ることに。


帰り際にギターの人も送れて「俺も帰りますよ」となったのだが

「いや、だって中でさぁ。BGMのレッド・ツェッペリンの『天国への階段』を大合唱してんだもん・・・」

と言う。


『地獄の黙示録』のラスト・シーンが浮かぶ。


「地獄だ・・・これが・・・・地獄だ・・・・」


因みにエリザベスは御満悦で帰宅した。エリザベスはNY在住の分際で英語が苦手(ペルーはスペイン語)。

だから、主催の鶴さんが英語で話して、其れをカホンの人がスペイン語に翻訳して話す、と言う凄い光景になった。

英語のレベルは私ですら内容が分かる程で、つまり中学生レベル。


本当にポール・ダンスの審査員なのか?ペルー人限定とかなんだろうか?



しかし、ナンダカンダと私は頑張りすぎたのか翌日は顎が筋肉痛。

トランペットでフリークトーンを連発するのは顎の筋肉を変な使い方をするしかなく。

「結構、頑張ちゃったな。俺」

と思った。

2017年7月5日水曜日

室野井洋子

舞踏家の室野井洋子さんが死んだらしい。 

死んだのは一昨日の夜10時。原因は『肺がん』。 


私はHAIGANと言うバンドに所属しているが、其れとは無関係である。 


室野井洋子さんの死を知ったのは先ほどで、チャーリーさんがFBでシェアしていた岡田、と言うオッサンの知らせである。 

そのお知らせを見た瞬間、 

「ざまぁ」 

と思ってしまった。 

「やっと、死んだか」 

みたいな。嫌な奴だなぁ~と思った。 


不謹慎かも知れない。

だが、室野井洋子は実際に凄く嫌な人だったし、陰険で陰湿でホンッっと酷い人だった。 


舞踏家としては、志賀信夫が「良いダンサーを失った」と書いていたが、正確には 

『良かったダンサーを失った』 

である。舞踏家:室野井洋子が其れこそ東京NO1だった時代は彼女が札幌に移住するまでだろう。 
芸が身を助ける、と言うか、陰険で陰湿で粘着質なクソ女だったが、そう言うのを遥かに上回るモノをステージで披露していた。 

『女性舞踏家40歳定年説』 

と言うか、女性舞踏家って40代中頃になると「可愛い私」が『中年の私』になってしまい、芸の引き出しが少ない舞踏家(舞踏家なんて皆、引き出しが一個位しかないが)が大半だから、可成り厳しくなる。 

だが、室野井洋子さんは、そうではなかった。 

恐ろしくストイックだったし、日本刀とかドス(短刀)のような青白く燃え上がる炎のような、海の中で燃え続ける火、氷山で生存とか、そう言う鋭さがあった。 

あんなに舞踏家は居ない。之からも出てこないと思う。 

実践で使われた日本刀の先端のような、禍々しく、恐ろしく、魅力的な舞踏家だった。 



暗黒舞踏界隈って『ダンスワーク』が良い例だが、未だに『土方巽が~』とかヌカしている。 


だが、皆、「土方巽ガー」と声高に言うが 

①土方巽の女癖が極端に悪かった 

②物凄く性格が悪かった 

③顔を整形手術している 

④暗黒舞踏のオリジナルネーターなのに、一度、それを辞めようとしていた(女絡み) 

⑤時代が違いすぎる(当時の舞踏公演は3時間半) 


を抜きにして語るから、『無駄伝説』と言うか。言えば言う程、舞踏ってのが腐る。 


俺は音楽だけども、表現、パフォーマンスの最先端は常に『舞台』にあると思っている。音楽から最先端が生まれるのではなくステージ・パフォーマンスから生まれるモノだと思っている。 

だから、『舞台パフォーマンス』を腐らせていく人達は死ねば良いと思っている。 


室野井洋子さんは土方巽ガーみたいなモノとは全く無縁だったし(室野井洋子さんは天使館系列の青龍会と言うグループ出身である。その前はバンドに一瞬だけ鍵盤で加入しているが、スタジオで演奏し始めた途端、「つまんない」と言って脱退している)、日々、腐っていく舞踏とは全く無縁だった。 

『だった』と過去形なんだけども。 


札幌に移住してから数年してから東京と札幌を往復してソロ公演をやっていた。今は無き『アートランド』である。 

あと、美学校でWSをやっていた。 

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その頃である。 

私は演劇から足を洗い、紆余曲折あり「トランペットでソロ」と言う形態を探っていた。フリージャズには「アルト・サックスでソロ」と言う盤も音源も豊富なのだが(フリージャズと言う音楽形態はアルト・サックスでソロの為にあるんじゃないか?ってくらい多い)トランペットで、ってのが無かった。 

だから、彼是と模索していた。近藤敏則がいるが彼はやはり『バンド』だったし、彼のソロ演奏は『電気トランペット』と言うより、もはやシンセサイザーであり、トランペットである必然性が感じられなかった。 
其れに、近藤敏則の演奏はソロでもバンドでもフリー・ジャズの人であり、参考にならない。 

黒人音楽をルーツとした音楽ではなく、真っ白な音楽がやりたかった。 

その頃に縫部憲治さんから「室野井とやるから、君を音楽として招きたい」と言われた。 

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室野井洋子さんと知り合ったのは20歳の頃で、福岡県に来ていた。青龍会は元々は東京のグループだったが 

①金 

②女 

③人間関係 

と言う『グループが解散する理由』の全てをコンプリートして九州に移転した。私はスタッフをやったり、WSをやって人が足りない時に行ったり(だから、私も実は舞踏を少しやっていたのである)。


その青龍会が「がんばるぞー!」って時に、青龍会の原田氏は、室野井洋子さんの師匠だから、手伝いに来た。 

人間関係を言えば室野井洋子さんは原田氏の元カノである(不倫だが)。で、当時も原田氏は別の女性と不倫関係であり、 

『元カノVS今カノVS妻』 

と言う凄まじい光景となった。室野井洋子さんは照明OPをやった。室野井洋子さんは『ギャラがない』『人間関係』と言う事で可成り御立腹だったが、何故か私は気に入られた。 

で、電話番号を教えて貰った。 

唐組に入るために上京しようと言う事で、人間関係を作らなくてはならなかった。90年代はネットもSNSもないからアナログに人間関係を作るしか無かった。 

其れで入団試験の際に室野井洋子さん宅に泊めてもらった。 

入団試験には合格して(ってか誰でも受かる試験なんだけど)、上京した。その際に室野井洋子さんと部屋探しを手伝ってくれた(室野井洋子さんは途中で飽きたらしく、これ以上ない、って位の酷い部屋を進めてきたが)。 

その後、インドカレーを食べた。 

で、上京祝いをしてくれた。 

当時、私は20歳で、室野井洋子さんは『年上の素敵なお姉さん』と言う感じだった。既に東京NO1だったし、パフォーマーとしては雲の上。 
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男女関係の事は私はよく知らない。概要だけは聞いたが当事者でもないし、私には無関係なので知らない。 

上記の縫部憲治さんからのオファーは清水寺の舞台から飛び降りるような話だった。 

だって、私はライブと言っても15人も入れば超満員のハコでしかやっていなかったし、無名以前の存在だったから。 

雲の上の存在である室野井洋子さんと縫部憲治さんと、ってのは心臓が止まるほどだった。 
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舞踏の音楽をやった事がないので、国立の稽古場で稽古を重ねる。当時、アンプを持参していたのだが、デカいアンプに車をつけて必死で押しながら稽古場に行っていたのを思い出す。 

で、美学校で室野井洋子さんがWSをやっているから、音をやってみろ、と言われて演奏。 

打ち上げで、参加者のピアニストの女性からdisられて、私も言い返して、ゴチャまぜ。 

で、本番。 

本番は凄く受けた。自分がやっている、またはやろうとしている事に間違いはないんだな、と手応えを感じた。 

ただ、音が受けてステージ・パフォーマンスはイマイチだった事もあって、室野井洋子さんは御立腹だったが(彼女は大抵の事は責任転嫁をする人である)。 


だから、私の活動は『あの時の』事が一直線状にある、と言っても過言ではないのだが、室野井洋子さんからオファーを受けたわけではないし、恩に着る事もないとは思う。 

『切欠』なんて、あの時以外にも沢山あったのだし。 

ただ、天才:室野井洋子さんとステージを共に出来たことは自分の中で大きかった。 

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芸事の世界は『義と借りと恩』だと思う。ヤクザな世界だから、一泊一膳の礼儀で人を殺す、と言うか。 

だが、室野井洋子さんとの関係性は2015年に終わる。 

以前、書いたのだが『縫部憲治追悼公演「ランゲルハンス島異聞」』での事である。 

遠藤 寿彦と言う奴から脅迫メールを受け取っていた。遠藤 寿彦は当日の音響OPをやる予定だったらしい。 
だが、音響OPと言ってもフェーダーを固定するだけで、別途、用意するようなモノではなかったが、室野井洋子さんは無料で使える馬鹿を探していた。 
だが、その馬鹿が私が参加することでバックレた。 

「つまり、KO.DO.NAが悪い」 

と言う事でフライヤーに私の名前の記載をしなかった。フライヤーは室野井洋子さんがデザインだが、記載をしなかった。 

こう言う処が陰湿で、陰険で、粘着質と言うか。 

「何故、フライヤーに俺の名前がないのか」 

と言う事が判明するのは本番が終わってからだった。そして、その際の舞台は『此れ以上はない』と言う程、酷かった。 


芸事は義理と人情と渡瀬の世界だが、名前は商売道具である。元々、恨みがしい人柄でもあったし、其れへの返答と言うか『仕返し』が『フライヤーへ記載しない』と言う処がウンザリだった。 









人が死んだら、例えどんな人で「良い人だったのに」となる。 













だが、其れって凄く卑怯な気がする。生前、酷い奴だった人は、死んでも酷い奴だったし、皆が「素晴らしいダンサーだったのに」と言うのだが、私が最後に見た2015年のステージは最低最悪、地獄以下だった。 


東京NO1だった室野井洋子さんだが、彼女は其れを捨てて札幌に行った。だから、札幌に移住した時点で、天才:室野井洋子は終わっていたんだと思う。 


FBのタイムラインでも、ツイッターでも、「うぅ、かわいそう・・・」と言う。肺癌だし、年齢的にも60歳手前位だから早すぎる死だったのかもしれないし。 

だが、私にとっては 

「酷い奴でしたよ」 

と言う言葉しか出てこない。ホンッっと酷い人だったし、嫌な人だったし、陰険で、陰湿で、粘着質で、常に責任転嫁。自分の出来が悪い時は、自分ではなく自分以外の奴が悪い、と言う思考回路の持ち主。 

殺しても、死なないような人だったので呆気無く死んでいるのに驚いたが。 

「素晴らしい舞踏家が・・・」 

とか 

「素晴らしい人が・・・」 

とか色々と言うのは、そりゃ言葉は綺麗だと思う。だけど『最低で最悪で、酷い人でしたよ』と言う人が居ても良いだろう。 




室野井洋子さんは東京・・・否、世界最強のダンサーだったのに、それを捨てた。でも、ダンサーとして生きた。

アホの土方巽が『病める舞姫』と言う舞台をやった過去があるが、土方巽は別に病んでもなかったし、マッチョイズムの世界の人だったが(そのマッチョイズムが後期高度高齢者を惹きつけるんだと思う)、室野井洋子さんは『病める舞姫』だった。

家柄は知らないが、『舞う姫』であった事に異論を唱える人は居ないだろう。



天才であるダンサーが、天才が天才であることを証明する前に死んだ。



それは大きな事だし『クソ以下で、嫌な奴が芸の素晴らしさでねじ伏せていく』と言う事をやっていた人だった(過去形)。


俺にとって、室野井洋子さんは最低で最悪で、酷い人だった。 此方が『仕返し』をする前に死んでしまった。

でも、死んじゃった。 

「前に進まなくては」 

と何故か思った。 何故かわからないんだけど、「もっと、前に進まなくては」と思った。


そう思ってしまう、と言う事は室野井洋子さんの死に対して私は「嫌な奴でしたよ」と言いながらも何かを感じているんだと思う。


色々な事。

様々な事。

多種多様な事


『死は、その人の最後の教え』

と言う。

そうなのかも知れない。室野井洋子さんは最低最悪の、陰険で陰湿な人だったけども、私に何かを思わせる。


父殺しならぬ、姉殺しをしなきゃならないのかもな、って思う。



2017年6月8日木曜日

BOØWY

寝ながら、ふと「日本のRockって特種な音楽だよなぁ」と思った。




何が特種か、って言えばRockは世界的なPOPSでもないのに「世界音楽」的なニュアンスである。

だが、歴史的に見ても、規模的に見てもROCKって

『アメリカやイギリス中産階級の民族音楽』 

なんだよな。そもそも、Rockのマーケットもイギリスとアメリカ、あとは日本くらいしかない。アフリカにもロックのバンドはいるけど、日本のロックほど特種な気がしない。

あ、旧ソ連の末期の頃は『ヘヴィー・メタル』をライブで聴くのが当時のソビエト連邦の上流階級のHIPだったらしい。

だが、往年のロックンロールを知っている側からすると、ロックンロールのお株は随分、昔からヒップホップに奪われている。
最近の高円寺駅前で高校生くらいの子がフリースタイルに勤しんでいる。
高円寺とヒップホップって相性が悪い、と思っていたので驚いた。


だが、考えてみると年収240万円以下の日本で『ロックンロール』って経済的に無理がありすぎるんだよな。


ギターもアンプもドラムも日本の住宅事情を考えると現実的とは言えない楽器ばかりである。

冷静に考えて、どうして『フォークソング』が壊滅して(70年代までフォークが主流だった)ロックンロールが80年代から00年代まで生き残れたんだ?と言う疑問がわく。



今は編集されているがウィキペディアに『日本のロック』と言う項目があり、

「日本のロックの元祖は『BOØWY』である」 

と記載されていた。多分、BOØWYのファンが書いたんだと思うのだが確かに

『純民間音楽』

としてのロックンロールと言う事で言えばBOØWYなのかなぁと。少なくともロックのファン、と言うのがイメージするバンドと言えばBOØWYとなる。

①はっぴいえんど→メンバー全員、裕福な御子息。細野晴臣は立教大学卒 

②村八分→チャー坊は1ドル=350円の時代にサンフランシスコに留学。山口冨士夫は貧乏人だがGSでプロ経験が長い 

③キャロル→ロックと言うよりポップス。 

④外道→活動期間が短すぎる。 

⑤YMO→メンバー全員、裕福な御子息。 

⑥裸のラリーズ→問題外 

なんと言うか『日本のロック』って、基本的に『裕福な御子息』である。実際に楽器も安くはないし、GSバンドはディスコ(今で言うクラブ)での演奏が基本だが、GSや、70年代後半までエレキ・ギターの値段って、今の金額に直すと20~30万円。
それとアンプ。これも数十万円か。

GSとか村八分だとか外道だとか言っても、当時の十代の大半は『金の卵』と言う事で中学を卒業したら働いていた時代である。

ロックでロール!ってワケには行かないので、ターゲットは裕福層だけになる。


其処へBOØWY。


このバンドの重要な処は『日本のロックの元祖』か、どうかはトモカク(あれが元祖だったら死にたくなるよな)、あのバンドが



のバンド、と言う事である。群馬県出身の友人曰く

「群馬県の星」 

と呼んでいる(よだかの星みたいだ)。群馬県と言えば誰もが知っているように途方もない場所である。


















































そもそも、電気があるのか?と言う気がする。電気以前に20歳までに生存出来る可能性が、どの程度あるのか不明な所が恐ろしい。


続けて友人は言う。

「だから、日本のロックの元祖はBOØWYでしょ?だから、日本でロックンロールをやろう!って人は『上毛かるた』は必須だね」 



「え?そうなの?」 

「だって、群馬県民は『上毛かるた』を暗唱出来るだもん。『上毛かるた』を暗唱出来ないと生き残れない」 

「え?そうなの?」 

「だって、群馬県に移住した時に最初にやらされた事が『上毛かるたの暗記』だったもんねぇ」 

「じゃあ、BOØWYの歌詞も実は『上毛かるた』をベースに作られているって事になるの?」 

「そりゃ、そーだよ!。だから、スタジオとかで良い歌詞が浮かばない時は『上毛かるた』を並べて考えていたんだと思うよ」 

「で、スタジオでお腹が空いたら『大名ネギ』を食う、と」 

「それか『焼きまんじゅう』だね」 


因みに『焼きまんじゅう』は群馬県民以外が食べると即死するらしい。


「群馬県から生まれた音楽が『日本のロック』ねぇ。栃木じゃないんだ」 

「栃木の連中はムカつく!」 


群馬県と栃木県は仲が悪いらしい。栃木県が群馬県民に喧嘩を売る際は『レモン牛乳』を投げつけるんだとか。で、群馬県民はネギを片手に戦うらしい。


ロックンロールと言えばロンドンとか、サンフランシスコと都市文化を考えてしまうが、日本の場合は

『群馬文化』

なのである。


「つまり、だ」 

友人は畳み掛ける。

「ジャズがニューオリンズで生まれて、ニューヨークで発展したように」 

「日本のロックンロールは群馬県で生まれて、他県や都市で発展したのですよ」 

「だから、群馬県はロック・ミュージシャンにとっての『ニューオリンズ』なんだよ」 


イマイチ、納得が出来ないのだが其れは多分、私がロックンロールをやってないからだと思う。

「じゃあ、日本でロックンロールをやろう、って人はジャズと同じく『群馬詣で』をしなきゃならないんだ」 

「そうそう。だから、東京で受けているバンドでも群馬県で認められないと一流とは言えないね」 



BOØWY=群馬県の星


と言う説に「うーむ・・・」と思い、初期のBOØWYの写真を探してみると確かに、上記の群馬県っぽいバンドだったらしい。
最近になって熱心なファンがUPしていた。


(BOØWYの前身『BLUE FILM』/1975年くらい)


結成された頃は氷室は参加してない。結成して1年で辞めてしまった人もいるが、その人はプロデューサーになったらしい。
この頃の氷室は歌謡ロックのバンドで歌っていたんだとか。で、その頃にRCサクセションを聞いて「ロックのバンドば、やっでみっぺっさ」と思ったんだとか。



(BOØWY参加前の氷室) 


この姿の何処が『歌謡ロック』なのか全く想像が出来ないが、モノの本には記載されているから本当なんだと思う。



(氷室が参加しBOØWYとなった頃) 

写真が荒いが、如何せん保存状態が悪いのとメンバーやレコード会社が公に認めてない事もあるので友人や熱心なファンの一部しか知られてない写真である。





パーカッション中心の音楽から、弦楽器音楽に移行した頃らしい。



だが、この頃は群馬県出身だった友人曰く

「大都会」 
「メトロポリス」 
「東京を遥かに凌ぐハイパーシティ」 
「イオンもある」 

群馬県高崎市での活動だった。

実際にwikiを見ると
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その当時「ガール(英語版)」というイギリスのハードロックバンド(メンバーは全員男性)がいたことに対抗し、こちらは男ばかりだからそのまま「ボーイ」だろうということで、当て字で『暴威』と命名された。それを聞いた社長の長戸大幸からは、当時人気だった『横浜銀蠅』にあやかって『群馬暴威』という名を提案されたものの、メンバーから猛反対され即ボツになった。
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とある。群馬暴威だったら良かったんだがなぁ。少しは好きになれたかもしれない。


で、その後、ハイドロキノン、水銀、モノベンゾンなどを多用して多くの人が知るBOØWYとなる。



このハイドロキノン、水銀、モノベンゾンの組み合わせは『黒人が白人になれる方法(肌漂白)と言う事で、かのマイケル・ジャクソンやビヨンセ、日本だと松田聖子がやっている(肌漂白の元祖)。


しかし、BOØWYファンって凄く熱心である。
高校時代に『小泊栄五郎』と言う同級生がいたのだが、彼は私に3時間も

「BOØWYの魅力について」 

を一方的に語ってくれた。




北九州市には『ロンドン』と言う、ほとんどBOØWYのコピーバンド(歌詞が違うだけ)が人気だったりしていた(多分、そのバンドは解散していると思う)。
その小泊栄五郎もギターを弾き始めてBOØWYのコピーバンドをやっていた。

BOØWYファンは何故、ギターを買ってきて『BOØWYのコピバン』をやってしまうんだろうか。 

私はグレン・グールドが好きだが、じゃあピアノを買ってきて・・・とはならないし、ジャズ・ファンが楽器を演奏した、と言う話は聴いたことがない(ジャズで使われる楽器の大半が習得が難しい事もあるが)。

『灰野ケイジ』
『裸のラリーズ』

はコピーする人はいる。実を言うと私も一度だけ友人とスタジオに入って裸のラリーズの『夜、暗殺者の夜』を演奏したことがある(私はTPなのでメロディー部分だが)。

だが、それでステージに・・・とは思わないのだが。

少なくとも90年代後半から00年代初頭まではBOØWYのコピバンは全国津々浦々にいた。
田舎のライブハウスには必ずBOØWYの曲を演奏するバンドがいた。

私の田舎(北九州)で

『学校以外で音楽をやる』
『演奏行為』
『ギターを弾く』
『ベースを弾く』
『ドラムを叩く』
『歌う』

と言う行為はイコールで『BOØWYのコピバンをやる』と言う事だった。西日本なので本来ならブルースが強い街のはずなんだが(大昔はジャズの街だった)何故か『BOØWY』だった。

BOØWYのコピバンと、ブルースの街ってのが「親世代への反抗」と言うワケでもなく、何故かそうなっていた。

だから、テクノとかモダン・ジャズだとかクラブ・ジャズだとかクラブ音楽だとか渋谷系を聴く私は中性ヨーロッパでの『異端カタリ派』のような扱いだった。

だから『お洒落をする』と言う事もイコールで『髪を立たせる』と言う事だった。


あ、思い出した。

高校時代に学友とバンドを組んだのだが(当時の私はキーボード)、95年か96年だと言うのに
BOØWYのコピバンだった。

あと、『黒夢』

キーワードは『童貞』。


嫌だったなぁ・・・。スタジオで馬鹿げたフレーズを弾かされながら「早く時間が進まないだろうか」と相対性理論のような事を考えていたのだが、そう言う時に限って時間は進まないものである。

そのBOØWYの80年代のライブがYOUTUBEにUPされていたので見てみた。































っダサっさいなぁ・・・。耳が『東海村JCO臨海事件』の人みたいに腐り落ちそうだ。

調べてみるとドラムの人はフリクションのファンらしい。フリクション好きが、何でこんなドイツとスイスの国境沿いの村の童謡みたいなマヌケな音楽に走るんだろうか。




私に「BOØWYの魅力について」を延々と3時間も話した小泊栄五郎は、卒業後に

「俺、ギターで東京に出る」

と言っていたのだが、その後、どうしているんだろうか。『BOØWY』の再結成を心待ちにしているんだろうか。

しかし、BOØWYファンの『BOØWYのコピバン率の高さ』は一体、何なんだ。


wikiによるとライブ音源の大半がブートとして出回っているらしい。

ブート盤の多さが『コピバン率の高さ』に繋がるのだとすれば『クラフトワーク』『ブライアン・ウィルソン:スマイル』『グレイトフル・デッド』『裸のラリーズ』『セシル・テイラー』だって多い。

だが、『グレイトフル・デッドのコピバン』『クラフトワークのコピバン』『セシル・テイラーのコピバン』なんて聞いたことがない。



小泊栄五郎はどうしているんだろう。東京でBOØWYのコピバンをやったのか、または地元(福岡県北九州市門司区)でBOØWYのコピバンをやっているのか。


BOØWYと言うと小泊栄五郎を思い出す。