2012年4月29日日曜日

名前のない私たち



『名前のない女たち』
と言う本を読んだ。

内容は『企画モノ』のAVに出演する女性達へのインタビューである。一応、壮絶な半生となっている。
義父、親族、身内からの虐待、レイプ、孤独など。

「企画AV女優達から「死」を予見させる発言や行動が増えていった。僕自身もだんだんと精神が疲弊するようになって、自分がおかしくなりそうになった事も何度かあった」

と前書にある。確かに内容はそんな感じである。



最初に読んだときは、嫌な気持ちになった。
2回目に読んだときに、ちょっと違和感を感じた。
登場するAV女優に対してではなく、著作者に対して。


書き手は男性である。


「死を予見」し「精神が疲弊」したのは単に彼が『男性』だからじゃないか?って。
多かれ少なかれ『女性』は出産・妊娠と言う構造があるし、言ってしまえば男性よりも『生死感』と言うのは可也、違うベクトルがあると思うのである。

もっと言えばインタビューした人物がAV女優じゃなくて『舞台女優』『地下アイドル』『映画女優』でも同じだと思うのだが、其れを感じたのは本人が「彼女は企画AV女優」と言う認識があり、同時に「AVと言う階層の低い業界」と言う認識があるからじゃないか?


本著に登場するAV女優達の生き方や人生は醜く、酷い。


だけども人間が本気で生きている姿は誰だって醜いと思うのだ。其れを『醜い』と思うのは、「自分は階層が違う」と言うか、『日本カースト』の上の方だと思う。



老人介護をしていたとき。思ったのだが老人達にとって『死』は身近なモノだ。で、その半生は時代背景もあるが、普通に壮絶である。戦争で家族を亡くして、闇市で働き、モノを盗み、屍を踏み越えて、って言う。

だが連中は変な言い方だが『死ぬ気で生きている』んである。

金払って見ず知らずの奴にケツの穴に指を突っ込まれて糞をひり出し、糞不味い飯を食い、その状態になるまで夫や医者など数人にしか見せた事がなかったであろう裸体を晒し、生きている。




『名前のない女たち』を読んで壮絶で、死を予見して、孤独で・・・と思うのは「生きた事がないから」思えるんじゃないか?って。

本気で生きてて、其れが壮絶だ、と簡単に言うなよ!って。


虐待にレイプに孤独と金、って言う事だけなら、そう言う奴は誰だってAVや風俗に行くのかよ?って。じゃあ、俺が女だったらAV女優になってケツの穴にウナギを突っ込んのかよ?って。

虐待にレイプに孤独と金がそうさせた、みたいな書き方なんだが冗談じゃない。



この本が悲劇的なのは登場人物ではなく書き手が実は強烈な『マッチョイズム』と言うか『男性的目線』しか持ち合わせてないからじゃないか?って思う。エロ本業界に居ながらも、何故かそう言う視線である。



風俗嬢の何が悪くて、AV女優の何が悪いのか?


納得できる理由を説明された事が一度もない。私の中学の同級生はソープで働いている。其れを聞いて「でも、ちゃんと働いてんだから偉いよ」と私は言ったし思うんだけど、普通は違うらしい。

「汚らわしい」

と母や世間一般は言う。だが、第三者とセックスをする、と言う行為だけを抜き出せば誰だってやっている。


俺だけかもしれないが、私はAV女優やAV男優、風俗嬢を本気で尊敬するんだよな。同時にマイルス・デイビスも尊敬するし、ジョン・コルトレーンも尊敬するし、細野晴臣も尊敬するワケ。

『身を切り売り』


と言うんだったら音楽家も小説家も映画監督も映画女優も舞台女優もAV女優も同じだ、と思う。


単に人前でセックスすりゃ金になるワケじゃないし、単に第三者とセックスすれば金になるワケでもない。
音楽もそうだが、其処には『特殊な技術』がある。


アメリカの全てがそうだとは言わないがアメリカの『ポルノ女優』は可也、凄い事をするが世間一般の評価は日本と比べて桁外れに高い。
USポルノは一時期、60~70年代に『反逆の映画』として一時期はカンヌ映画祭にまで対抗していた位だから、歴史が違いすぎるが(その頃の映画祭については寺山修二が詳細なレポートを出している)。

日本のAV業界や風俗業界が、どうしても「裏の家業」と言う自虐的意識を拭えないし、歴史的にも違うし、風土もあるんだろうけども、嘗て

『風俗嬢』

ってのは世間の憧れだったのである。『芸者』や『花魁』じゃない。戦後の日本の女性ファッションに最初に強烈なインパクトと流行を作ったのは


『風俗嬢』


『売春婦』


だったんである。実は『サザエさん』のファッションも、その当時のファッションである。当時、米軍と交際があった彼女達のファッションは其れまでの『和風』ではなく『洋服』であり、派手な色と派手な格好だった。

其れが日本のファッション史の最初。戦後と行っても経ったの60年前である。

なのに何で?みたいな。




日本の『ジェンダー問題』って実は相当に暗くて多分、『日本カースト』に対抗出来るモノなんて『インドのカースト』とかしかない気がする。インドのカーストと言っても、『ブッタ』が生きていた頃レベルで。

105回も転職していると『女性上司』と言うのも居る。

不思議なんだが『女性管理職』の人って、相当に出来が良いんだよな。「ここじゃなくてゴールドマン・サックス社にでも移ったらどうですか?」みたいな。男性管理職って意外とマヌケが多いんだが(少々、マヌケくらいが丁度良いのかもしれないが)、女性が『管理職』となろうとすると、男性の3倍以上は有能でないと駄目なのか?って気がする。

例えば小和田雅子って天皇家に嫁入りするまで『国内TOP5』のキャリア・ウーマンだった。『TOP10』じゃなくて『TOP5』である。殆ど頂点と言っても良い。

だが、その役職は今で言えば『外務省のOL』程度である。官僚の一人、でしかなかった。


幼年期はソ連
帰国子女
その後、ボストン
帰国して東大卒
ハーバード大学卒
オックスフォード大学卒


こんな桁外れの経歴を持つ怪物のような女性ですら『官僚程度』だったんである。其れが当時の『働く女性の限界』と言うか。

信じられるか?90年代で、それだったんである。
そして末路は『天皇家』である。最悪だ。

天皇家に人権はないんだから。




きっと『皇太子徳仁親王妃雅子』も企画モノのAV女優も笠木忍(私はファン)も同じように孤独だろうし、死と近いだろうし、壮絶だと思う。

だが、其れを壮絶だと思うのは、単に『生きる』事をサボっているだけだ。
『生きる』事をサボっている、と言うのは『日本カースト』の中でTOPだから許される事だ。
『特権階級』からは何も生まれない。

『特権階級』がロックを演奏し、ストリート文化を語り、哲学を語り、労働問題を語る。

之がどれほどアホ臭いか何故、誰も指摘しないんだ?



今は『生きる』事をサボれる状態じゃない。真剣に生きるべきなんである。


俺は思うんだが『脱原発!』と叫ぶ連中が、どうしても『お花畑』と言うか『マヌケ』に見えてしまうのは、デモのやり方とかじゃなくて、単に

『特権階級』



『下層階級者』

の真似をしているからじゃないか?って気がする。『アースデイ』とかな。
金持ちが貧乏人の真似をするのはアホ臭い。
早稲田大学経済学部のガキがヒップホップをやってもサマにはならない。


俺は『笠木忍』や『AV女優』、風俗嬢、水商売の連中が「脱原発」と叫んだ時こそが『原発』の本質が露見されて、其れが認知される日だと思う。

今のところ『反原発』を叫んだのは北海道・札幌市の『オリーブガーデン』だけだが。
http://rocketnews24.com/2011/09/14/130649/



職業に卑賤はない。
総理大臣も日雇い労働者も同じ事


そう教えてくれた私の父親はソープランドの経営者だった。




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