2012年5月22日火曜日

瓦礫の私


急いで書こう。



書かないとやってらんない。




北九州市が瓦礫受け入れについて市民グループと市が激しく対立している。で、其れに大して『脱原発派』は受け入れ阻止を声高に叫んでいる。

ツイッターとかfacebookで「北九州市の瓦礫受け入れ拒否を!」とあるんだが、俺は北九州市出身なんだが凄く複雑な心境になる。

瓦礫と言っても、どの程度の汚染になるのか良く判ってない。と言うか市も調べてない、と言う。本音を言ってしまえば瓦礫に含まれる汚染物質程度で「ウガァアァァ~!身体がと・・・溶ける~!」とはならないと思うし、瓦礫を核爆発させてばら撒くわけではないしね。




ただ





北九州市は嘗て当時は世界最高と言っても良いほどの『公害の街』だった。私の代でも「すごいなぁ」ってのが居た位だから当時も桁外れだったと思う。あんな街は核実験が行われた中国の少数民族だとか、中国の僻地くらいなもんだろう。

恐らく公害の原因となった工場がどの工場だったのか判らないし、工場側も何をばら撒いていたのか判らないだろうしう、汚染された市民も何が起きていたのか判らないと思う。



それが戦後の姿で、7色の煙は九州の誉れは60=80年代
その結果は90年代。



街にはヤクザと娼婦と病人しかいなくなった。
子供は奇形児とDQNしかいなくなった。
街の一等地は嘗ては米軍だったが自衛隊になった。
産業は廃れ
ホームレスが急増した。
海にはひん曲がった魚が泳ぎ
青い海は『黒い海』になった。
雨上がりには道路が虹色に光った。
雨に含まれるガスだか油だか其れが光沢を帯びた。



私が通っていた中学校は正面と後ろが刑務所と自衛隊だった。



奇形児って普通は「産まれない」もんらしい。産まれない、と言うか出産って産む側も体力がいるが、産まれる方としても結構な労力らしく奇形だとその体力がなくて死産となるらしい。

だが産まれちゃうんだよな。あんだけ数がいると。


奇病と奇形だけが残った。


其れでも北九州市の人達は「あの頃は良かった」と言う人も多かった。金が稼げたからだ。

金が稼げた、と言うより街が途方もなく発展したからだ。恐らく当時の北九州市の財政は潤うどころじゃなかったと思う。例えば図書館にしろ、小学校~中学校にしろ都内では考えられないほど施設が整っていた。

当時の北九州市がどう言うものだったのか私は世代が違うので憶測でしかないが、財政は寧ろ「余り気味」だったんだろう。病院にしろ、学校にしろ、道路にしろ、図書館にしろ、何にしろ『当時』建設された建築物のレベルは凄まじい。



だが、芳醇な財政と、建築物の代わりに大量の『奇病』『奇形児』が残った。



産業は90年代に『鉄鋼業』から『商業都市』へとシフトしようとした。だが、80年代まで市政を担っていたのは実際には『ヤクザ』だった。

この「北九州市とヤクザ」の関係を書き始めたら本一冊になってしまうので省くが、簡単に言えば北九州市は


ファッション、文化、音楽、治安、統制、交友関係、食文化、芸能、経済


その全てがヤクザとの関係を抜きにして語ることは出来ない。『食文化』ですら、だ。その位、北九州市の警察も市も無能だったし、逆に言えば『直接的暴力装置』であるヤクザでなければ流浪の労働者の街をコントロール出来なかったんだと思われる。


『商業都市』へシフトは80年代から構想があった。実際に動けたのは10年後。だが、ヤクザは現金商売なので商業経済では「キャッシュ」が入らない。

「みかじめ料?しかし本社(東京)に相談しなくては」

では小学校卒程度のヤクザには判らないのである。それで「商業都市」へのシフトは止まった。




残ったのは



奇形~奇病
貧乏人
貧乏人の子供
借金取り
破産
闇金
公営博打
パチンコ(も00年代には潰れた)
介護職
老人



だけになった。北九州市が欲しいのは『苅田市』である。隣の市なのだがトヨタ自動車などを含む大工場地帯で、財政は最高金額を誇る。

つまり北九州市と言う市の体質は「金といえば工場」なんである。




何が言いたいか?って言うと地方と都市の格差と言うか温度と言うか。



以前も書いたんだけども都市生活者が「脱原発」と叫ぶ事は完全に安全圏で叫ぶ事なんだよな。

「ママは原発いらない!」

とか昨年まではあったんだけども、ママがママで居るために地方はウンザリするような工業を受け入れてきたワケですよ。ママが『風俗嬢』にならない為に、さ。



都市で生活する事は身を切るようなことだと思う。SEにしろプログラマにしろ派遣にしろ、ホンッと精神的に身を切り売りするような、と言うか。其れはそれで相当に疲労するし、電車に飛び込む以外の解決策はない。


だが地方だと「精神的に身を切り売り」じゃないんだよな。レベルが違うんだよな。


『プレス工が仕事中に事故って指を5本潰しました→労災で食っていける!ラッキー!』


みたいな。


『工場労働者が仕事中に途方もない死に方(溶鉱炉に落ちるとか)をしました→労災で食える!ラッキー!』

みたいな。


実際、土建業を(ドカタだ)やっていた頃、私はよく「事故れば労災で食えるぜ」と言われたもんだ。だから事故は防ぎたいが、事故ればラッキーだぜ?みたいな。




地方産業は「明日、どうなるのか判らない」ってのがデフォルト。農業が流行っているが言ってしまえばJAとか、農家に住み込むだとか、労力の割には食えないってのがあるわけで。

あとは北九州市には『欲望』だけは矢鱈とある。


全国の若年層の非正規雇用率は7割を超え、全国の平均年収は250万円を切っている。



10年代にしろ00年代にしろ、90年代で何もかもが止まっているのだが、其れは年収240万円で過ごせるものではない。

だがメディアは「ワゴンRを買え」「お洒落に」「セレブ」等を訴えるワケだわさ。其れを叶えようと思えば博打を打つか、ヤクザになるか、一発逆転を狙い続けるしかない。


その『一発逆転の連続』を叶える方法って都市以外では『大規模工場地帯』しかない。


実際に第一次産業がメインの県なんて悲惨なもんだ。救急病院ですら車で1時間弱。TVは3局あるが雨が降ると1局しか入らない。または、そもそも電波が入らないって言うレベル(地デジ化により、其れは更に加速されたが)。インターネットは未だにISDNが最速。またはFOMA。




俺には「北九州市の瓦礫受け入れを阻止!」ってのが、どう見ても都市生活者の『ナルシズム』にしか見えないんだよな。

あの瓦礫は『金の卵』なんだよ。「何キロ=幾ら」って言うモノだから地方自治体が欲しがるのは無理もない。
工業都市だった都市は今や貧困都市である。その現状を客観的に見れば、文字通り想像を絶する。


だから都市生活者が「脱原発」と瓦礫を阻止するのは、同時に「地方は貧しいままで良い」「豊かなのは都市生活者だけで良い」と言う事を逆説的に言っているようなもんだ。




都市生活者は『将来』を考えてウンザリすることが出来る


地方都市は『明日』を考えてウンザリする


時間のタームが違いすぎる。『将来』と言った数年~数十年後ではなく『明日』『来週』と言うのが地方経済リアリズム。

「明日」「来週」に飢え死にするんだったら、将来(数年後)産まれてくる子供が奇形でも問題ない。明日、死ぬよりはマシだから・・・



もう一度、書こう。



安直に『北九州市の瓦礫阻止』と言う奴は単なる『ナルシスト』だ。
地方在住者にすりゃ『勝者』だ



『北九州市生活保護打ち切り餓死事件』と言うのが07年におきた。


その頃の都市部(主に東京)では「貧困だとか不景気と言っても餓死者は出てない。だから大丈夫」と言う楽観的な意見が多かった。


全国で真っ先に『餓死者』を出した市なのである。


北九州市には『派遣村』も『労働ユニオン』もない。ユニオンはあっても相当な苦戦を強いられている(ヤクザ絡みが多すぎるから)。



「千葉も続け!」だとか山本太郎だとか、単なるナルシズムだ。勝者が敗者に何を言う?って言う。

その敗者が勝者に対して一発逆転しようとする行為を阻止しろってか?ふざけんな!

って言うか。




地方経済を踏まえた上で『瓦礫受け入れ阻止』を叫んでいる奴を見たことがない。
そんな事だから『脱原発派』は『放射脳』と馬鹿にされるし、私も馬鹿にしてんだけども(アンヴァレンツではあるが)。


まとまらないけども。


個人的には故郷で瓦礫を受け入れて欲しくはない。「また繰り返すのか?」って言う思いもある。
だが故郷の経済事情も考量すると闇雲に「阻止!」と言うのも何だかね、って言う。


ただ、都市生活者のナルシズムだけで地方経済を語って欲しくはないね、って。そう思う。

瓦礫、瓦礫と言うが、その瓦礫の持ち主だった連中の事も考えると「其れって瓦礫なのかよ?」って言う。

瓦礫って何だよ?


脱原発って何だよ?


市民って誰だよ?


土日にデモに行ける奴等が『民意』なのかよ?


シフト勤務の派遣社員は民意じゃねぇ、と。


エコって何だよ?


都市部が日本で


地方はアフリカ


其れがお前ら


アフリカには存分に飢えさせて


お前らは存分に食えて


たまに食い残しをアフリカに送り


ついでに銃も送り


脳髄を引き摺りだすような内乱をVIP席で閲覧


テメェの家は安全


あいつらの家は瓦礫


瓦礫じゃねえ


『汚染物質』呼ばわり


USTで瓦礫を眺めながら


『モデリアーニ』を偉そうに語る


そんな論調はウンザリだぜ。





ついでだから書くが『橋下市長』って都内では不人気だし、彼等が国政に来る可能性は限りなく0だろう。彼等は国政に対しては弱い、と言う事を熟知しているはず。

だが橋下市長は人気だ。何処で人気か?

彼は『地方』の代弁者なんである。


橋下市長をファシスト呼ばわりするのは簡単だ。だが、地方はファシストを切望している、と言う事も忘れちゃならない。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

年収100万以下の周辺地域の方も、自分の農地を汚染されたくない、子供たちを被曝させたくないという理由でがれき受け入れ反対されているみたいですよ。もちろん土地は借りているし、財産もありません。脱原発や、がれき拡散反対をするそういう市民がいることも確かです。反対されている方の大部分は、お金に基準を置かず、チェルノブイリやご指摘されているような過去の数々の公害被害の経過を真剣に検証したゆえの行動であるのだと思います。がれきの処理は一時的な潤いに過ぎず、東京や島田の処理業者の関係やいきさつを見ていくと、一部の業者だけが潤うということもわかってきています。北九州の場合も同じことが言えると思います。一部の人たちのために九州や中国地方の方たちの被曝はやむを得ないと言うことでしょうか?

KO.DO.NA さんのコメント...

コメント有難う御座います。

一部の連中の為に汚染を受け入れいるべきか?そんな事はありません。
私自身、故郷が汚染されていくのは凄く辛いです。
しかし311以降、震災と放射能により『焼け太り』を狙っている地域は北九州だけではなく全国津々浦々にあります。

結局、日本の経済システム自体が「上が儲かれば下も儲かる」と言う大昔のシステムです。こんな馬鹿げたシステムは既に終わっているんですが(田中角栄の列島改造計画で本当は終了しているんですが)、都市部以外の地方は未だにこうったシステムから逃れられない・・・変えようとしない、と言う処が問題だと思います。

水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、足尾鉱毒事件、カネミ油、その他、工業都市やエネルギー産業を主とする(原発地区など)地区も結局、そう言った「一部が潤えば他も潤うはず」と言う其れこそ20世紀初頭のような考え方です。其れが上記の重大な公害を生み出しました。

実は北九州市では小中高と「公害の歴史」を徹底的に学びます。「嘗ては汚かった北九州市だったが」と言うニュアンスで。

でも、この有様。

最低だと思います。北九州市は今回の瓦礫により46億円の儲けが出ています。しかし市政レベルで考えれば46億円なんて屁みたいなもんです。一時的な金額なんで、本当に無意味です。

今回の瓦礫により被爆するか否か、そして其れがどう言う影響があるのか?

之に関しては私は発言はしません。実際にはチェルノブイリにしろ、スリーマイル、ヒロシマ・ナガサキにしろ、其れが少量だとしても放射能の影響と言うのが実は判ってないからです。チェルノブイリは有名ですが、その実態が判ったのは「つい最近」ですし(ソ連崩壊後から暫く経ってからです。しかもデータはホンの一部しか取られていなかった)。

ですが、私は瓦礫を受け入れた故郷を許しません。市の財政や街の経済状況を考慮したとしても許す事は出来ません。

もしも、今回の件で何らかのダメージを市民達が受けたとすれば「お前たちが望んだんだ!喜べよ!」と。
公害で桁外れの被害を受けた事を忘れたカスどもめ、と思います。

匿名 さんのコメント...

返答してくださり、ありがとうございます。

言わんとしてることが何となくわかりました。
人間って素晴らしくって、愚かですね。
どちらにもなり得る。

「小人の化学」、ダウンロードさせていただきました。
これから聴いてみます。