2012年7月15日日曜日

ジャニスで借りたもの


今日、御茶ノ水『ジャニス』で借りたもの。



1)Anne-James Chaton

これは視聴して一目ぼれ。結構、無茶苦茶でサウンドアートと言うかボイスパフォーマンスと言うか、レシートだとか新聞の切り抜きを長年、蓄積し其れを音に変換してするものらしい。
yotuubeで見てもらうしかないが、こう言う輩が海外には時折、いる。『ユウコネクサス6』の方がカッコ良いけど、これもカッコいい。




2)Coh Plays Cosey

スリッピング・グリッスルの人と、女性のディオ作。女性の溜息や呼吸音、台詞などをカットアップし捲くってビートにする・・・って書くと『アート・オブ・ノイズ』なんだけども、レーベルは『ラスターノートン』で、アルヴァ・ノトの処である。綺麗。

このテのレーベルの作品を聴くのは久し振りな気がする。最近、声を使った作品に凄く興味がある。以前、作った事があったが相当に手間がかかる上に、その時にボイスと言うか『声』を担当してくれた女性は大学時代に下級生だった男の子と結婚した。その夫ってのが凄くて


(後の)妻以外の女性を知らない


と言う壮大なるマヌケ君。童貞で結婚しているのである。


「すっげー!オマンコってこんな味するんだー!」

とか

「うぉー!陰毛って髪の毛と違って硬ぇー!」

とか

「あ!やべぇ、やべぇ。間違えて アナルに入れちゃうところだった」

とか

「えー!このピーナッツみてーに小さぇのが『クリトリス』なの?!すっげー、小せぇー!」

とか

「どっひゃー!愛液っつーの?ラブ・ジュースっつーの?こんなにヌルヌルしてんだ!すっげー!ヌルヌルしてるよ!ヌルヌルだよー!ヌルヌルしてんだよー!」


とか思ったり驚いたりしながらHし捲くって子供作って『妻以外』の女性がベットではどんな風に振舞っているのか?または妻以外の女性のフェラチオはどんなモノなのか?陰毛にも濃い・薄いがあり、上付き・下付き等、全く知らない



『性のガラパゴス状態』



なワケである。

「・・・って事は彼の夜の『やり方』とか『礼儀作法』と言うかテクニック等はSさんが仕込んだワケですよね?」

と普段は地味な、その女性に聞いた。

「・・・まぁ、そうですね」

「でも、彼はSさんしか知らないワケでしょ?もう、オフィシャルって言うか、オーダーメイドって言うか、カスタマイズって言うか・・・其れって、どうなんでしょ?」

「悪いですか!」

と怒られた。まぁ、Sさん(声の人)にしてみれば『自分専用』って言うのは悪くないのかもしれない。男性の『処女崇拝』みたいなモンか。今時、処女を崇拝しているのはヒキヲタとニートとキモヲタくらいしかいないが。

で、子育てに入ってしまったので呼び出すわけにもいかない。そう言えば同じ理由(出産と育児)で

『ソフトさん』

も活動中止になって久しい。USTでリーダー宅から実況中継ライブを考えているのだが未だ未遂である。


3)Giants of the Organ in Concert: The Complete Concert

珍しくオルガン・ジャズ。トランペットにアホみたいにエフェクトを掛けて得体の知れない音楽をやっている私だが、実はジャズが好き。しかも世代的に『アシッド・ジャズ』世代なので世間で言う

レア・グルーブ

には可也、「っぐ!」と来る。この盤はジミー・マクグリフとリチャード・グルーブ・ホルムズ(両者ともハモンド・オルガン)のバトル・ライブ。

そもそも楽器を習い始めたのはtpではなくピアノだった。その理由はシンセサイザーが欲しかったのと、同時に『ドアーズ』のレイ・マンザレイクのオルガンが死ぬほどカッコ良かったからである(今でもレイ・マンザレイクのオルガンは凄いと思っている)。出来ればオルガンがやりたいもんである。当然、ハモンドである。

自宅に『足踏みオルガン』があるが、所有した時に始めて気がついたのだが「既に鍵盤楽器が弾けない」と言うのと「足で踏まなきゃ音が出ない」と言う不便さにウンザリして殆ど使ってない。

昨年なんて弾いたのは1回だけである。今年は既に1回弾いているが11月に友人に引き取って貰う予定。

しかし、オルガンはオルガンで大変らしい。何しろピアノと違って彼方此方の店にある、ってもんでもないし(都内でハモンドオルガンを常設している店は一軒だけである)運搬が兎に角、大変らしい。

この『ハモンド・オルガン・ディオ』はライブ盤とスタジオ盤の2枚を残して終わったが理由は「運搬が大変」と言うモノだったんだとか。

だろうなぁ。

しかし、内容はもう、たまらんぜよ。







4)David Tudor Neural Syntheses, Nos. 6-9

電子音楽である。このDavid Tudorだがアメリカの高橋ユウジみたいなモンで『現代音楽ピアニスト』としてはTOPだったらしい。兎に角、凄かったんだとか。
作曲家は得体の知れない図形楽譜だとか、意味不明な指示表満載のスコアを渡したら本人は一切、質問もせず推敲に推敲を重ねる。
作曲者は譜面を渡した後はコンサートに行くだけ。すると「奇跡を体験する事になる」んだとか。

実際にジョン・ケージのピアノ曲はDavid Tudorによって初演が多い。20世紀最大の曲である『4分33秒』の初演もDavid Tudor。

ところが、どう言う風の吹き回しなのか『自作電子楽器製作者』『電子音楽家』となった。時代性もあるだろうが電子楽器と言っても借りた作品は1994年なのに既成のシンセサイザーなんぞ使わずに矢張り『自作電子楽器』を作って演奏・・・と言うか、この人の面白いのは演奏家のはずなのに

出音からして制御不能

と言うモノである。多分・・・って言うか絶対に本番が始まるまで本人ですら、どう言う音がするのか判ってなかった筈である。その『出てきちゃった音』『制御不能の音』を『制御しようとする』と言う行為が最高にCOOOOOOLだ。

他にもゴードン・ムンマも借りようかと思ったが、ゴードン・ムンマは飽きたしなぁ、と。そう言えばヒップホップを真剣にやっていた頃のヤン富田がサンプリングでゴードン・ムンマを愛用していて、それはカッコ良かった。

個人的に『電子音楽』と言うのはエレクトロニカやテクノとの決定的な違いはテクノやエレクトロニカは手法として電子楽器を使う、または其れに対してのフォーマットがあるのに対して『電子音楽』の本質は単純に


変調する


制御しない


と言う事だと思う。シンセサイザーの元祖と言われているテルミンなんて全く完全に制御出来たのは世界に一人しか居なかったワケだし、変調と言うかラジオの研究中に偶然、出来ちゃった楽器と言うのも。

戦前の日本でも『電子楽器』については研究していて、三味線や80弦琴にマイクロフォンを取り付けたモノ程度だったりする(そう言えば戦時中にバッキー白片が幼い頃にガットギターを貰った。チューニングを三味線を習っていた母親に教えて貰い、ギターに父親が電気屋をやっていたのでマイクを取り付けて店中のスピーカーに装着して鳴らしたら桁外れの爆音が出て「すっげー!」と思ったが近所中が『空襲警報』だと思い避難してしまい、あとで死ぬほど怒られたらしい)。

当時、ピックアップと言うモノがなかっただけに『マイクロフォン』と言うモノ自体が『電子』だったのだろう。確かに当時のマイクの性能は良く言えば『味がある』が、一般的には『酷いもの』である。スピーカーから出てくる音と、実際の音の違いに戸惑った人の方が多かったと思う。


因みに日本初の電子音楽コンサートは『玉音放送』である。


この意見に同調してくれたのは池田巧氏だけなんだが、マイクロフォンどころか其れを盤に起こし、電波で配信って既にYOUTUBEを超えている。しかも視聴率は100%に近かったはずだし。

不味いのは『玉音放送』を『音声』『声明文』として捉える人ばかりで、あれを純粋に「音」として捉える人は殆ど居ないのである。

しかし『玉音放送』自体も国民は始めて『天皇の声』を聞いたワケで、その奇妙なイントネーションや言葉使い、甲高い声に内心、「之が陛下の声?」と思った・・・と言うか意味などが判った人は殆ど居なかったらしい。

だから『サイレン』や『信号』、または『終戦を告げる音』として聴こえていたはずなんだが、そう言う現代音楽家もいないなぁ。何でだろ。








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