2013年6月19日水曜日

It's Daejeon(1)

そして大詰めの『大田市(Daejeon)』である。





前日に呑み過ぎもあり、風邪の具合はMAXに酷い。しかも、前日は雨で、その日は寒い。
森さんと、スンミさん(森さんの奥さん)がウルルハウスに迎えに来てくれる。
スンミさんもフリースを着ている。

マグワン駅からソウル駅。ソウル駅からKTXに乗り大田市である。

だからソウル駅までタクシーで行こう、と言う。丁度、二人もソウル駅周辺で散歩なのか観光予定だったらしいので賛同。

そう言えば渡韓してソウル駅に行くのは初めて。修学旅行でも行ってない。


スンミさん曰く

「大田市なんて田舎よぉ」

と言う。所謂、『海外旅行』ではないから場所に関してはネットだとかガイドブックはアテにならない。現地人(スンミさんは24年間は韓国。14年間は日本。で、今は韓国)の言葉を信じるしかない。

「どんな処なんですかね?」

「あのね、牛が一杯歩いている。もう、フツーに牛が道路にいるのね」

「え?ええ?!」

「で、牛が引っ張るバスとかあってさぁ」

「マジですか?」

「うん。ホンと。で、牛を引っ張っている老人とかいてね。そのお爺さんとかに頼むと荷台とかに載せてくれるの。あと、頼めば一晩くらい泊めてくれたりして、人は優しいんだけど」

「牛・・・!」

其処で森さんが

「KO.DO.NAさん。兎に角、牛糞には気をつけた方が良いですよ。ガバ!って踏んじゃうと臭いますから」

と言う。


不安感が増す。脳裏にこう言う光景が浮かぶ。








トランペットよりもアコーディオンの音色が似合いそうな場所じゃないか。ガクブル。

「電気はあるんだろうか・・・」

と不安になる。


二人に見送られながらKTX(韓国の新幹線)に乗る。荷物の置き場所が分からないので横に置いていたら日本語を少し話せる中年紳士が

「あちらに荷物を置けますよ」

と教えてくれた。


KTXから見える風景は、新幹線の社窓から見える光景がそうであるように『ド田舎』である。明らかに日韓併合時代『以前』から何も変わってなさそうな光景。

本当に牛がいるのかも・・・と思う。


で、到着してみると(横の中年紳士が「次ですよ」と教えてくれる。嗚呼、人は皆、親切)




牛はいない



「騙された」と思ったが、面白い嘘だったから良いんだけども。只、ソウル駅とは矢張り違う雰囲気である。

(大田駅前)


(大田駅前)


(大田駅前)


駅は綺麗だが周囲は雑然としている、ってのが悲しき我が故郷『北九州市』っぽい。

ニコラスに電話する。

「KO.DO.NAだ。着いたよ。迎えに来て」

「ゴメン、ゴメン。10分ほど遅れる」

と待つ。

初対面だが会って見るとこう言う人だった。

(ニコラス)



撫で肩で、背が低い。多分、私と同じくらいじゃないかな(私は160cm)。で、会うなり「ソーリー」と言って道端でゲロを吐き捲くっている。

で、出演者でもないのに意味もなく機材らしきものを紙袋に持っている。オーディオインターフェイスとかエフェクターなんだが、私は使わないし何で持ってきていたんだろう。

元々は、このニコラスが「韓国でライブをしないか?」とメールが来たので今回の渡韓が実現したワケである。
だが、初っ端から嫌な予感がしたので、確認事項を確かめる。



「変圧器は用意してくれているかい?」

「OK!ノープロブレム!」

と彼が出して来たのは『変圧器(ダウントランス)』ではなく


『変換プラグ』


なのである。

「はぁ?これが変圧器だって言うの?」

「これでエフェクターは動くよ」

「いや、動かないよ!俺のエフェクターは100V使用で、韓国は220Vじゃないか!」

「大丈夫、大丈夫」

「無理!エフェクターが動かなければパフォーマンスは出来ない!」

「OK」

と言って駅前を歩く。どうやら電気屋を探しているらしいのだが、やはり大田市は『地方都市』と言うより『田舎』なワケで電気屋には電球とかしか売ってない。






「じゃあ、僕の家に行こう」

と彼の家に行く。途中で

「お腹、空いた?」

「少し」

「キンパ、食べない?」

と店に入ってキンパを二つ。キンパは韓国の巻き寿司なんだが美味い。携帯食みたいな感じ。


(キンパを美味そうに食うニコラス)




こんな写真を暢気に撮っているように見えて実は内心、ドキドキである。
「こいつ、大丈夫か?」みたいな。


大体、変圧器に関しても何日も前にメールしているのである。しかも『何度も』!だ。

自宅に行くと矢張り部屋が臭い。正直、私の部屋も汚いのだが「俺の部屋より臭くて汚い部屋は初めてだ」と思った。

で、変圧器を出すのかと思ったら、また


『変換プラグ』


を出す。

「だから変換プラグじゃ駄目なんだって!」

「大丈夫だよ。これで動くよ」

「マジかよ?!だが、変圧器が必要だ。」

「OK」


と言うと今度は自宅の前の電気屋に行く。電気屋は外人が来た事で若干、不安そうな顔。で、変換プラグを何故か購入。




どうもニコラスは『変圧器』と言う物体が分からないらしい。


この時点で怒り心頭ですよ。ええ、マジで。「FUCK OFF!」と怒鳴ってKTXで帰っても良かったのだが上記の通り、彼の誘いがなければ、このツアーはなかったのだから我慢・・・と言うか実は風邪がキツくて「もう、どうでもエエわ」と言う気分。

で、会場に到着。

このライブ会場ってのが『韓国唯一にカントリーシンガー』が経営するカントリーの店である。店のBGMはポール・アンカとかカーターファミリーとかカーペンターズとかである。

店の親父もテンガロンハットにネルシャツ、そしてネルシャツの裾をジーパンに突っ込んでいる。何処からどう見ても『カントリー』なオッサンである。

気さくな人なんだが。

で、セッティングする事になり半信半疑で変換プラグをACアダプターに突っ込んで動かしてみると・・・動かない。

8台のエフェクターのうち、ローランド製(BOSS)以外は全く動かない。何とか動いたのは


ディレイ

ワウペダル(電池)

オクターバー(電池)


だけ。このセッティングでソロで、何をしろと言うのだ。で、マイクをスピーカーに繋ごうとすると対バンの子が「NO!NO!」と言ってくる。

「Why?」

「NO,PA」

「NON PA....?.Really?」

「YES」

「oh....NO...」


このPAに関しては渡韓する前に何度も何度も「私はPAがないとパフォーマンスは出来ない」とメールしていた事である。

変圧器はない

PAはない

此処まで来ると怒りよりも落胆と言うか、どーでも良くなる。

ラジカセで何とかバックトラックを流し、何とか形に出来ないかなぁと思って2台のアンプを使おうと思った。一台はTP、一台はラジカセ。

ところがアンプは複数台あるのだが実は対バンの子の持込機材。ニコラスが「アンプなら、之を使ってよ」と出してきたのが店のアンプなんだが



一台だけ!。



しかも見た事もないボロいアンプである。10W~15W程度の小さなアンプである。

この糞っ垂れがぁ!と思いながら「どーすりゃ良いんだ。これじゃアコースティックでやるのと同じじゃねーかよ!俺ぁ、こんなセッティングの為に24kもの機材を運んできたワケじゃねぇんだぞ・・・」と日本語でイライラしていると、カントリーのオッサンが

「カセットデッキ?じゃあ、カセットテープか。テープなら私が掛けるから」

と言う。

「じゃなくて、カセットデッキを俺が操作する事も含めてパフォーマンスなんですよ!」

と言うと「?」と言う顔。


今まで色々なライブをしてきたし、悪条件だったり、信じられないセッティングを強いられたりしてきたが、此処まではなかった。

これから自分がパフォーマンスをしなくてはならない、と言う事を考えると脂汗が止まらない。

既に店の周辺には、こんなフライヤーが張られているのである。




ニーホンのトーキョーシティーからアンビエント・パフォーマーが初来日!と言った具合である。白黒のフライヤーで昔のパンクのライブかよ、って感じだが。


で、ニコラスはどうしているか?って言えば道端でゲロを吐き、私にマッコリを勧めてくるってな具合。

「マッコリ?俺が今、どう言う状況かテメー、分かってんのかよ!今直ぐに帰っても良いんだぜ?そもそも、Yukieさんには頭があがらねーテメーの顔を立ててやろう、って事で大田市まで来たんだぜ?俺の義侠心だよ。音楽家ってのは、義侠心が第一だからな。で、オメーは何だ?マッコリ、呑んでる場合じゃねぇんだよ!」

と思うが、店のオッサンから「そろそろセッティングを終わってもらえないか?イベント始まるし」と言われるので

「はぁ・・・。OK。What can I do?・・・」

と後ろの席に座る。対バンの子達は弾き語りと言うか、バラード系が多い。

染みったれた歌を染みったれた感じで歌う。ニュアンスとしては分かり易いのは


『安全地帯』

『ワインレッドの心』


と言うか。陰鬱な心情と言うか、憂鬱な歌声とマイナーキーばかりのギター。




今の『弾き語り』って『渋谷系以降』でセブンスキーを多用し、所謂『4畳半フォーク』は少数派なんだが(シーラカンス同様に4畳半フォークの人は少数いるが)、4畳半フォークとも違う。やはり

『ワインレッドの心』

である。「何で之が対バンなんだよ」と思っていると眠たくなってきた。ウトウトとしていると、バンド編成の子が出てきた。ベース、ギター・ボーカル、ドラムにキーボード。

「へー、バンドかぁ」

と思っていたら、矢張り『ワインレッドの心』なんである。延々と『ワインレッドの心』。



思えばカラオケボックスが流行った黎明期の頃。大抵、一人位は『ワインレッドの心』を熱唱する奴がいて、そいつのお陰で場がシラケたもんだが、何であんな陰鬱な歌が流行ったんだろうか。当時は有線にしろTVにしろラジオにしろ、ヘビーローテーションだった。陰鬱な歌なら

『友川かずき』/『死にぞこないの歌』

でも良いじゃないか。




しかし、『ワインレッドの心』



続く

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