2015年7月30日木曜日

縫部憲治追悼公演「ランゲルハンス島異聞」

昨日、『縫部憲治追悼 ランゲルハンス島異聞』と言う舞踏公演で演奏。









散々、愚痴ったので自分の中では若干、落ち着いているのだが個人的な感じで。


①フライヤーに私の名前がなかった

フライヤーは両面印刷で表面には『トランペット:KO.DO.NA』とあるのだが、裏面には記載がない。
田中トシとか記載があるのだが私にはない。
それを主催の室野井洋子さんに尋ねると

「だって、深谷さんが送ってこなかったから」

と言う。しかし、出演者の詳細を記載し把握するのは主催者の領分である。

「それで、ですか?」

「・・・」

と。facebookのイベントページにもなかった。

私は室野井さんのメルアドを知らないので此方から送る事は出来なかったしなぁ。

なめてんのか?


②全体的にゴミのようなイベントだった


酷いな、と思った。室野井洋子さんは出演者として『田中トシ』をクレジットしていた。だが、現場にはいない。

「遅れてくるのか?」

「または俺は会った事がない人なので顔を知らないのか?」

と思いながらも、どう考えても一人足りない。で、イベントが始まってみると舞台にいるのは室野井洋子と後飯塚僚さんだけ。

で、プロジェクターで何か映っているのだが、実は田中トシは


『スカイプ』


での参加だった!!!だから彼はサンパウロにいながら『スカイプ・ビデオ』なんだよな。

ちょっと、其れは酷いんじゃないか?って「今回はスカイプで参加」と本来は記載すべき・・・と言うかアンダーグラウンドの鬼才と言われてる人なんだから、彼に期待する人もいるだろうに。

で、蓋をあけると「スカイプで-す(^o^)/」って、そりゃねーだろ。

あんまりだ、と思った。

室野井洋子さんのパフォーマンスは素晴らしいけども、ちょっと、其れは・・・例えば田中トシを観に来た人がいたら、何て言い訳するつもりだったんだろう。

フライヤーには出演者として、あたかも『当日、舞台でパフォーマンスしますよ!』的に記載している。
ところがスカイプビデオです、と。

俺が客なら返金を要求するな。




③原田伸雄が酷かった。

これまで観た舞踏公演で最も酷かったんじゃないか?と思うのが原田さんだった。嘗ては舞踏界隈をウロウロしていたので、「こりゃ酷いな」と言う公演は多々見てきたのだが、もう、別格と言うか

『他の追随を許さない』

程の酷さだった。アレを超える酷い公演は二度と見れないだろうな、と。
元々、程度の低い舞踏家ではあるが、もう最高峰!暗黒舞踏界のエド・ウッド!


舞踏家にせよ、ミュージシャンにせよ、演者って『登場→退場』までが演者である。勿論、その際のハプニングってのは予想される。

ミュージシャンだったら楽器の不調や、体調。パフォーマーならば

『台詞を忘れる』
『登場の切欠を間違える』
『テクニック不足』
『キャリア不足』
『その他』


舞踏にせよ、コンテンポラリーダンスにせよ、演劇にせよ、バレエにせよ「その場のアクシデント」と付き合わざるを得ない。

で、予め書いておくが『原田伸雄』って言うダンサーは、『良いor悪い』で言えば


『悪い』ダンサー


である。ってか『悪いダンサーの典型』のような人と言うか。



なんつーか、60年代or70年代のアングラ・カルチャーの中で活動し始めた人なのだが、所謂『アングラ・カルチャー』って今だと想像を絶する程、チープだし、雑だし、不手際だし、と言うものである。

ただ、ヤング・カルチャーの萌芽と言う意味では良いのかもしれないが。

で、原田伸雄と言う人は、その『雑』『チープ』『不手際』を体言する人で、もっと言えば、それ位しかない。

元々、彼が主催している青龍会って東京のグループだったのだが、金と女と人間関係で東京に居られなくなって、福岡に『都落ち』と言う人である。

で、福岡県の事を言えば今もそうだと思うのだが舞踏グループって二つしかないんだよな。

『天使館系列→青龍会』

『白虎社系列→万華鏡』

だから、舞踏やろう!と思うと二択しかない、って言う。だから原田伸雄氏は思う存分、偉そうに生きていける。


で、当日だが「自分が出演中はクーラーを切ってくれ」と言う。

だが、当日の東京の気温は36度。しかも台風の影響で湿度も高い。
劇場内の体感温度としては38度。
これで客が入って照明をつければ40度を遥かに超える。



「自分は心臓が弱い」

「クーラーがついた状態でjは良いパフォーマンスが出来ない」

「歳だから身体が云々」




と言う。これに関しては30分くらいゴチャゴチャとした。で、最終的に

「自分は最後に出演なので、その前までは冷房をガンガンに効かせて置けば、残りの自分のパフォーマンス時間の30分は冷気で持つ!」

と言う持論で行く事になった。

だが、そうは問屋がおろさない。




当日、客席はフルハウス。


満員御礼も良い所。50~60がキャパのテレプシコールに70人入った。



で、室野井グループ→深谷さんと私→原田伸雄だったのだが、幾ら冷房を効かせても70人の客は暑くて仕方が無い。

私も演奏中に脱水症状になるかと思った程である。着ていたシャツなんて『オシボリ』みたいになった程で。





其処へ原田伸雄が登場。

まぁ、アングラなブトーをやる。カンブリア紀みたいな舞踏である。

「ほほう。60年代はこう言う感じだったんですね」

と言う程度だわな。


で、途中で原田伸雄が

「うっぐぅ!」

と言いはじめた。別に性的に感じているワケではない。


「あ・・・あ・・・あぁ・・・アクシデントが起こりました・・・!」

因みに公演中に言っているのである。

「し・・・心臓が・・・!心臓が・・・・!」

「ゼェゼェ!」

「心臓がぁ・・・」


其処へ原田伸雄は殆ど意味も無く弟子を4人くらい引き連れて上京してきていたんだよな。
で、面長な顔(馬面)の女性が原田伸雄のメイクと衣装を担当している、と。ビジュアル系かよ、と思うのだが本人がそう言うのだから仕方がない。

その面長(馬面)な女性が突然、最前列で

「師匠!飴、いりますか!?」

「師匠!塩飴、いりますか!?」

「師匠!ポカリスウェットいりますか!?」


と言う。



本番中だぞ?演者が演じている真っ最中だぞ?

で、原田伸雄は

「いらない!」

と言う舞台で言う。思わず「仕込みなのか?そう言うパフォーマンスなのか?」と思ったが、仕込みとは到底、思えない『不手際感』がある。


客席の温度は40度を超えている。

私はテレプシコールの照明宅のところ(客席より上の部分)で観ていたのだが、

「踊らんかい!」

と激を飛ばす。

「・・・踊りとは何か・・・!手を上げれば踊りか・・・ゼェゼェ」


要するに自分でクーラーを切ってくれ、と言ったは良いが照明の暑さと、舞台の温度で自分の身体が持たなくなって酸欠になって「ヤベェ!」となってんだよな。



「心臓が止まりそう」



みたいな。別に原田伸雄が出番直前にスタッフの女性に恋をしてしまい

「心臓が止まりそう」

になっているワケではない。単に『暑いから』である。



青龍会は、青龍会で公演は福岡でやっているのだが事務所公演が多いのと、大規模な公演は行っていない。少なくともテレプシコールみたいな中規模だが、設備は大規模なホールではやってない。

だから福岡と同じ感覚でやってみたら、死にそうになった、と言う馬鹿げた状態。

しかし

「師匠!飴、いりますか!?」

は凄かったな。


で、30分の予定が20分で原田氏は舞台に倒れた。倒れた、と言うか大の字になった。

「ぜぇぜぇ」
「あぐぅ」

とか何か言っている。別に性的に感じているワケではない。



25分くらいの処で

「お・・・岡田君・・・水を・・・水を・・・かけ・・かけてくほしい・・・」

当日、舞台監督だった岡田隆明氏に水をかけてもらいグダグダの状態で終了。


本来ならば原田ノブオが退場してから室野井洋子、岡田隆明が挨拶をしてイベントは終了だったのだが、


66歳

バーコードヘアー

白塗り

ウェディング・ドレス


と言うコスプレ以外、何者でもないオッサンを舞台に転がしたまま終焉となった。


「退場しなかった舞踏家なんて始めてみたぞ!」



と思った。


で、岡田氏と室野井さんが挨拶をするのだが、室野井さんがボソボソと挨拶をするんだよな。
だが、室野井さんは元々、声が『蚊の泣く声』と言う按配。

「聞こえねーぞ!」

と罵声が飛ぶ。


客席は40度を遥かに超えているのである。そりゃ不快指数は桁外れだろうに。


で、40度でも「キチンとしたパフォーマンス」「良いパフォーマンス」をしてりゃ良いワケでさ。
其れこそライブハウスとか・・・例えば『ドリーム・カム・トルゥー』のライブの客席の温度とかも40度を超えると思うんだよな。
フジロックとかでもさ。

ただ、そこでクレームが出ないのは

『観客を満足させる事が出来ているから』

と言う単純な理由でしかない。逆に言えば

『満足どころか不満足で終わっているからクレームが出る』

ワケですよ。ってか、昔のテント芝居なんて当日のテレプシより酷かったし、私が上京して初めてテレプシコールに行ったときも(向井知恵さんのイベントだった)無茶苦茶に人が入っていて、息苦しい程だったもんなぁ。

ただ、罵声が飛ぶほどじゃなかった。


熱くて酸欠状態になって「やべぇ!」となるのは別に構わないのだが舞台を続行出来ない、と言うのは『あり得ない』

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話題変更

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大昔に唐十郎の劇団に居た。

唐十郎の劇団の『劇団唐組』って元々は学生演劇だったので、何処か『学生演劇のノリ』が残ってんだよな。

で、私が裏方をやっていたのだが、その際に『岩倉さん』と言う役者が舞台のクライマックスの

『切欠』

の台詞を担当していた。

「俺達にはカンケーねぇ!」

と言う台詞だったと思う。その台詞と共に岩倉さんは手に持った石(発泡スチロール製:底に血糊が仕込まれている)を天高く振り上げる。

で、集団で主人公の手を石で打ちまくる。

眠り草

だったと思うが、この戯曲の中で唯一の暴力シーンであり、同時にクライマックスへ向かう為の重要なシーンである。


ところが


この岩倉さんってのが当時、32歳だったのだが老け顔で50代にしか見えない。岡山弁剝き出しで非常に、格好が悪かった。

で、台詞覚えが異常に悪かった。

「俺達にはカンケーねぇ!」

と言う台詞が切欠なのに初日の公園で岩倉さんは台詞を




忘れてしまった




石を天高く振り上げたは良いが、酸欠の金魚みたいになっている。で、感づいた別の役者が台詞を言って何とかなった。

で、岩倉さんは後ろで殴られていた。


岩倉さんは、その後も何度も台詞を忘れ、重大なミスをしていた。

冷静に考えると初日でミスった役者は唐さんがキャスティング変更すべきだったんよな。今後も同じ事をやるかもしれないから。

で、岩倉と言う役者の台詞覚えの悪さは事前に分かっていた事だったし。


だが、唐さんはキャスティングを変更する、と言う事はなかった。役者が怪我か何かで出演出来なくなった際は公演を中止したほどである。


これって『学生演劇のノリ』なんだよな。


唐十郎としては自分が充てた役者を変更するなんて事は自分の戯曲を変更する事であり、同時に否定する事になっていたのかもしれない。

『作・演出:唐十郎』

だったが、唐さんは矢張り戯曲家であり、演出家ではないんだよな。

恐らく浅利啓太だったらキャストを変更しただろうし、役者が怪我しても公演は続行するだろうし(因みに劇団四季も劇団唐組も『有限会社』である)。


で、唐十郎は何処に行く時でも弟子を引き連れて行っていた。少なくとも『唐十郎』と言う名前で行動する際はそうしていた。

本名である『大鶴』と言う名前では子供を自転車に乗せて買い物をしていたが。

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当日の原田伸雄も全く意味もなく弟子を4人連れてきた。男性の座員もいるんだろうが、何故か女性ばかり。
で、「ドヤ!」と言うか。

この子達が舞台のスタッフをやってくれたか?と言えば全くの役立たず

「居ただけ」

と言うか。何の為に居たのか判らないが。



しかし。



此処からはアレなんだけどもさ。

当日、上記の通り原田伸雄は舞台で大の字で倒れたまま済崩し的にイベントは終ったんだよな。
だが、演者って『登場して退場する』と言う事が絶対の約束である。



例えばスーパーボウルとか、サッカーワールドカップとかに素っ裸になって会場を走り回るパフォーマンスをする人が時折いるが、あれも『警備員に捕まって退場』と言う事が前提である。

だから『退場しない』と言う事は『登場していない』と言っても過言じゃない。

歌舞伎の『黒子』は舞台に存在しているが彼等は『舞台に居ない』と言うお約束である。


だからさ、原田伸雄氏は福岡空港からアホな弟子を4人引き連れて、


『66歳』

『バーコードヘアー』

『白塗り』

『ウェディング・ドレス』


と言う「ちょっと、アレ」な格好をしたは良いが、



『何もしなかった』

『観光』

『会場のリハーサルを見に来た』


だけだった、言う事になる。飛行機代や宿代も馬鹿にはならない。

「・・・原田氏は一体、何をしにきたんだ?」

と言うか。



③打ち上げ

私が知らない処で実はゴチャゴチャと揉めていたらしい。

私に脅迫メールを送ってきた遠藤君だが、当日、彼は室野井さんと原田氏の音響を手伝う予定だった。


って、室野井さんの音響って田中トシさんのスカイプの音量調整だけで5分で済む話なんだよな。
ってか、俺がやったし(ハウリングしない程度に調整すれば良かっただけで、フェーダーは固定だったから)。

だが、使える予定の奴がKO.DO.NAのお陰で使えなくなった!と。




それで室野井さんは、私を恨んでいるらしい。



この室野井洋子さんだが、矢張り面倒な人物で

『箪笥の角に小指をぶつけたら、一生涯、箪笥を恨み続ける』

と言う人である。

昔の舞踏家ってのは、そう言う面倒臭い人が矢鱈と多い。



その為、私の出演に関して主催者として、どーしよう?と彼是とあったらしい。其れを原田氏から聞いた。

「喧嘩はしても良いんだよ!昔の舞踏なんて喧嘩ばかりだったんだから。私もね!土方さんと喧嘩するつもりでやってきたし!」

って、あんた、土方巽と殆ど接点なかったじゃん。笠井叡の横にいただけで喧嘩するほどの仲じゃなかったし、格も違ったじゃん。

ってか話を総合すると


①遠藤がバックレた

②KO.DO.NAが参加するからバックレた

③遠藤君とKO.DO.NAが揉めたから(揉めてないが)

④お陰で音響スタッフを別に用意しなきゃならなかった

⑤KO.DO.NAが悪い!


と言う事らしい。


「はぁ?遠藤と俺の事はカンケーないでしょ?今回は縫辺さんの為の公演でしょ?遠藤が云々だとか、其れは今回の公演とカンケーあるんですか?」

「いや、だから云々」

「いや、遠藤と俺の関係性と今回の公演に何の繋がりがあるんですか?」

「いや、だからゴチャゴチャ」

「今回の公演は何の為の公演ですか?」

「いや、室野井から相談を受けてね」

「だから、なんですか?」


と。先に書いたようにフライヤーに記載がなかったのは其れだったのか・・・と思った。
室野井さんとしては私が出演する事は嫌だっただろうし、私の事を恨んでいる、と。


だが、室野井洋子さんも叩けば埃が万年床の如く出てくる女性である。
原田ノブオも東京から追い出された過去を持つほどだから、誰かをdisる資格があるわけがない。


室野井さんも原田氏も、言ってしまえば遠藤君に対して酷い扱いをしたいワケである。

この遠藤君だが、私に脅迫メールを送ってきたり、突然、キレてみたり吼えてみたり。で、舞踏家orパフォーマーとしては本人も気がついているようだが、本当に駄目な人である。
と言うか、精神的に異常な人でもある。

だが、アングラの人にすれば遠藤君みたいな奴ほど使い易い奴はいない。


①自分の舞台を食われる程の力量は持ってない

②無料で使える

③舞台スタッフとしては音響程度なら使える

④フライヤーも撒いてくれる

⑤頼めば断る事は殆どない

⑥むしろ自分から手伝いに来るほど



だが、遠藤君は舞踏界隈での存在価値もないし、存在意義もない。
舞踏公演をやっても人は来ない。
誰から競演を頼まれる程の力量もない。

だから舞台スタッフとして舞踏公演に関わる事でしか、自分の存在感を誇示する事が出来にない。

だから非常に残酷な事をしてんだよな。室野井さんも原田さんも。

40過ぎの無能男を舞台に上げてあげるワケでもなく『無料だから』『コスパが良い』と言う事だけで、あたかも信頼関係があるかのように使っているワケだから。

とは言え遠藤君としても、そう言う『虚構の関係性』でしか生きていけない。


まぁ、この辺は否定はしない。


双方が合意の元でやってるんだろうし、少なくとも遠藤君にすれば、そうする事でしか舞踏界隈と関われないのだから。






だが、である。


音響スタッフなんて誰でも出来るんである。私はクラブでアサブキさんと言う舞踏家と会ったら

「お!KO.DO.NA!音響やってくれ!」

と行き成り言われて、CDを掛けるポイント(何曲目の何分何秒から、とか)だけ指示されてやったほどで。


で、遠藤がキレる相手は「KO.DO.NAの出演を了承した主催者:室野井洋子」に対してであり、私に対してではない。

で、室野井洋子が悩んだ&私の参加に対して悶々と悩んだ、と言うのであれば彼女が主催者なのだから、私の出演を取り消せば良かっただけである。


どの道、ノーギャラである。


私としても「今回は辞退して貰えませんか?」と言われたらOKするだけである。


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俺は舞台は『神聖な場所である』と教えられてきた。福岡の劇団である

劇衆南組

大耳グランギニョル

劇団唐組

舞踏結社:青龍会(舞踏靑龍會


でも、だ。

公演をやるからには死んでも続行であり、其処に人間関係が云々は関係ない。



実際、原田ノブオと室野井洋子は嘗て(って30年以上前だが)、男女関係だった。原田氏は既に結婚していたから不倫関係だが。


で、私が青龍会に居た頃に室野井洋子が時折、手伝いに来ていた。
その頃には既に原田氏には別の恋人がいて(不倫関係だが)バッティングする事が多々あった。

その時の雰囲気は二十歳の私でも判るほど、凄まじい空気感だった。

だが、「まだ福岡で活動し始めたばかりの青龍会の為に」と言う事で室野井さんはノーギャラでスタッフをやっていた。

既に舞踏家として知名度があった室野井洋子さんで、其れを判った上で原田氏はオファーしているワケでさ。


で、今回は違った。


縫辺さんの為ではなく「田舎にいる自分がトーキョーでドヤ顔する為に」と言うモノだった。


室野井さんは舞台でフライヤーには記載していた人をサンパウロからは呼べずに(呼ばずに)スカイプで競演と言う不始末。

原田氏は舞台で酸欠で倒れて何も出来ずにコスプレをしただけ。


だから、追悼の為に・・・として挑んだのは深谷さんと私だけだった、と言うか。オファーを受けたのが2ヶ月前だったから、当日の為にトレーニングや練習も組んだのだが、実は


『田舎のオッサンとオバサンの発表会』


だった。



室野井洋子さんに対しては上京する際に家に泊めてもらったり、相談に乗ってもらった事があったし、年上の素敵なお姉さん!という感じで、好意があった。

「室野井おねーさーん!」

みたいな。初対面の頃の室野井さんはまだ若かったし、私は20歳である。そりゃ憧れるわさ。
ダンスも凄まじかったし(パフォーマンスは今も健在だが)。

原田ノブオに対しても、一定の信頼感はあった。1年とは言え世話になったし、教えてもらった事は多々あるわけだしさ。


しかし、第一線で活動するパフォーマーではなかった、と言うか。舞台監督だった岡田氏も酷かったし。

だから『アングラ世代』と言うモノの、最も醜い部分を見せられた、と言うか。

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原田氏に関しては福岡県でやっているが、東京から追い出された格好で都落ち。
だが、郷里である福岡県に舞踏をやっている奴が殆どいなかった。
つまりライバルがいない状態である。


其処で開拓と言えば聞えは良いが、まだ時代的に90年代なので

「60~70年代のトーキョーで活躍していた前衛美術のお方!」

と言う扱いで受け入れられた。


で、舞踏グループを再結成した。

ライバルも、自分の存在を脅かす存在も居ない状態である。彼は70年代~80年代初頭に掛けて作った自分のフォーマットが一つだけあり、其れを延々と飽きもせず続けるだけで拍手喝采なのである。


で、室野井洋子さんも舞台パフォーマーとしてではなく、恋多き女性なので舞踏家としての自分ではなく恋を選び、札幌に移住した。


私は『東京と言う第一線を退いた人』と言いたくなかった。


私も地方出身者だし『第一線』と言うのは東京だけじゃなくて鹿児島だろうと、福岡だろうと網走だろうと、第一線は第一線であり、

『ステージでパフォーマンスを行う』

と言う事の意味合いの深さ・重さ・厳格さは何処の土地でも世代でも関係ない!と。



だが、原田氏も室野井さんも明らかに『第一線を退いた人』『田舎でやっている人』になっていた。


で、舞台でミスったら次はない、と常に思っていたし、そう教えられてきた。

私はアングラ育ち。

その連中から、そう教えられてきた。


だが、連中には限りなく『次』があるんだよな。幾らミスっても、ともすると当日、バックレたとしても『次の公演』があるんだよな。

其れが『アングラ』であり『暗黒舞踏』だ、と。

しかし、追悼される縫辺氏は厳格に舞台を作っていた。認めたくはないが東京都と言うのは矢張り『第一線』なんだろう。

だからこそ慎重に、厳格に、大胆に舞台に挑んでいた人だったし、だからこそ私は縫辺氏と関わる事で大嫌いだった舞踏界隈の人だったとしても絶対の信頼を寄せていた。





追悼公演なんて1回で良い。
だが二回目があった。

彼等・彼女達は、いつまで友の死を弄ぶんだろうか。

『縫部憲治の死』

と言うのは彼等・彼女達にとっての『公園』『砂場』『ジャングルジム』であり、それ以上でも、それ以下でもない。

今回の公演はフライヤーも、舞台の仕込みも、公演内容も酷かった。

だが、第三回もあるだろう。第四回もあるだろう。10年後もあるかもしれない。

連中が花の都:トーキョーのテレプシコールで何かやりてぇな、と思っている間は永遠に続けるだろう。

追悼の名の下に。

死は二回ある。

自己の死。

友に忘れられる死。

だが、連中は『弄ぶ死』を選ぶ。

縫部憲治と言う人物は弄ばれる為に活動していたワケではないし、田舎のオッサンとオバサンの為に死んだワケでもない。

弄ばれるような舞台は一度もやっていなかった。

死人に口無し。



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