2016年10月18日火曜日

シャーマニズムという名の感染病――グローバル化が進むモンゴルで起きている異変から

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シャーマニズムという名の感染病――グローバル化が進むモンゴルで起きている異変から

http://synodos.jp/international/16228
そもそもシャーマニズムは、世界中に見られる宗教現象である。一般的にいって、こうしたシャーマン成巫の契機は、巫病を伴う神秘的な体験によって超自然的存在からシャーマンになることを求められる「召命型」、特別な血筋で継承される「世襲型」、修行を通してシャーマン的な能力を身に着ける「修行型」の三つに大別される(佐々木 1984:20; 1992:249-272)。

これに対して、現代モンゴルにおいては、シャーマン成巫の契機が、従来のシャーマン研究の枠組みに収まらないといえよう。なぜなら現代モンゴルにおいて多くのシャーマンたちは、自らにふりかかった不幸や災いが、他者(別のシャーマン)によってシャーマンになる運命であると判断されてシャーマンになっているからである。言い換えるならば、災厄の説明原理がシャーマン成巫と直結している。こうした「災厄即シャーマン」という直結型の思考法が、モンゴルの感染するシャーマン現象の大きな特徴なのである。

現代のシャーマンは、当然にして氏族や村落共同体の運命を左右する呪術師でもなければ、何か特定の信者集団のために働く存在ではない。むしろ彼らは個人の苦悩の解決手段としてシャーマンとなっている。もちろん、シャーマンたちは師匠シャーマンを頂点とし複数の弟子シャーマンとその親族からなる集団を形成したりすることも少なくない。しかし、ひとたび「精霊のお告げ」が弟子シャーマンに下ると彼らは簡単に師匠と別れ、集団を飛び出して「個人営業者」となる。そういった意味においては、基本的にシャーマンたちは本人とごく一部の家族や友人のために活動するといってよい。
 (中略)
また、ある女性歌手は売れなくなった頃から酒浸りとなったが、その後シャーマンへの道を歩み始めることで自尊心を取り戻した。シャーマンQが、「名誉博士」「教授」といった地位に必要以上にこだわるのも、こうした学歴信仰が背景にあると考えられる。そうした中、プライド競争社会であるウランバートルにおいて、シャーマンになることは、社会的地位を逆転させたり、象徴財を手に入れたりすることで、相対的に剥奪されたプライドを再獲得させる「力」として現前しているのである。

最近では、地下資源の開発が進む中、鉱山周辺地域においてもシャーマンの増殖が見られる。新たにシャーマンになっているのは、貧富の差が拡大する鉱山都市において鉱山の利権に預かれない貧しき者や、鉱山による環境汚染の被害にあっている者たちである[棚瀬・島村2015]。

シャーマニズムは、今もなお一刻一刻と人々に感染しつづけている。これに対してモンゴル政府は、国民が新規にシャーマンとなるのを規制することを検討しているという。しかし、問題はそこではないのは明らかであろう。なぜなら、感染するシャーマニズムは、急激な経済発展の陰で競争に喘ぐ人々の「苦悩のメタファー」に過ぎないのだから。冒頭に示したHIPHOPの歌詞は、そうした彼らの嘆きの声である。
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シャーマンと言う業種が『資本主義的』『経済的』『資本主義的価値観』『ではなかった』時代なんて皆無である。


大昔からシャーマン(祈祷師、霊媒師、その他)は生活の為にやっていたし、織田無道みたいに突然、「私は霊能者」と言い始めるモノである。
少なくとも皆が大好きな天皇陛下なんて、その究極で。
初代の神武天皇なんて、いきなり大陸からやってきて


「どーも!ぼく、今日からテンノーでーす!ちーっす!」

と言い始めたのが始まりなんだから、

「いきなりシャーマン」

は日本人には馴染み深い。織田無道や宜保愛子と言った近年の偉大なる前例もある。
富士山の麓には『インディーズ宗教』団体が多くあり(ピラミッド・センターが良い例)、富士山周辺には霊能者とか、神に選ばれた奴とかがウロウロしている。
そのうちの一人は新宿で覚醒剤の売人だったりする。
だが、今では聖徳太子を召喚出来るシャーマン。

数年前まではシャブ中を召喚していたが、今では聖徳太子らしい。



迫害された人がシャーマンになる、と言うのも頷けるモノで。迫害と言うか「世間的にアウトな人」と言うか。
大昔のイエス・キリスト(2016年前)が民衆の支持を受けたのは『革命家』『宗教化』としてではなく

『無料のシャーマン』
『無料のコンテンツ』


だったからである。当時にもキリストみたいな人(祈祷師、シャーマン)は大勢いたが値がはる。
其処にキリストは『無料で奇跡をやりまっせ』と言うニコニコ動画とかアマゾン・プライムとかYOUTUBEみたいな事をやったのがヒットした最大の要因である。

12使徒は有料会員だが、無料の客が多かった。

勿論、晩年のキリストは人気が出すぎて、当時としても安かったが有料のコンテンツになったが(死後は更に高額なコンテンツになった)。



迫害された人、色々あって落ち込んじゃった人、世間的に負けた人。
そう言う人が「私事で恐縮ではありますが、今日からシャーマンです」と言うのは、交友関係を見渡して、


「私、霊とか見えちゃうんだよね〜」


とか言っちゃう人が一人くらいはいるもんだが、ああ言う感じと言うか。

「霊とか見えちゃうんだよねー」

と言う人(何故か女性に多い)って、

「オッパイが小さい」「蟷螂に顔が似ている」
「メイクが原色」
「直ぐにヤラせてくれそう」
「寝る前に錠剤10錠」
「無力無善寺に出入り」
「無駄毛の処理を怠っている」


と言う人ばかりだ。
オッパイが小さいから霊が見えるのか、無駄毛の処理を行えない程、霊を見ちゃうのか、メイクが原色だから霊が見えるのか、顔がカマキリに似ているから霊が見えちゃうのか。


もう、卵が先か、ヒヨコが先なのかサッパリ分からん。

「除霊も出来ます」
と言う人もいたなぁ。
「除菌も出来ます」

みたいな。
「はぁ、そうですか」
としか言いようがなかったが。




とりあえず『神は細部に』ではなく『神はブスに宿る』、と言う事なんだろうか。
手塚治が書いた卑弥呼は更年期障害に悩む老婆、と言う設定。
メソポタミア文明で発掘されたシャーマンは『人口奇形児』。
スピリチュアル系をウロウロしている女性は大抵、「美人とは言えない」ルックスが多い。


まぁ、ブスに生まれたからにゃ、除霊くらい出来なきゃやってられんわな。


だが、ブサイクな男が

「俺、霊とか見えるっす!」
と言うのは聞かない。

非モテ・非リアで、JPEG画像一枚で3年は萌える事が出来るブサイクな男は、「性の喜びを知りやがって!」と激怒するオッサンになるしかない。
それか、モンゴルに渡って「俺、除霊するっす!パパレマ・パパレマ・クリリンパ!」とやるか。
非モテ・非リア充の男性はモンゴルに行くしかないのである。


(シャーマンに成り損ねた男性)


ブサイクで、非モテ・非リアの男はコミケに行くよりモンゴルに行ったほうが良いのかも知れない。

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