2016年11月6日日曜日

劇場版:野戦之月海筆子

先日の野戦の月公演『混沌にんぶち』を友人と観に行った。その後。




一緒に行った友人は某劇場スタッフで、演劇祭に出演させる劇団を探していた。

劇場主催の演劇祭って事もあって条件的には可成り良いモノなので金がない若い劇団ばかりが応募している。
それで野戦の月に感動した友人は、野戦の月に「御出演のお願い」のメールを出した。

野戦の月はwebサイトもあるし、メールを送ることが出来るようにもなっている。其処からメール送信である。



私もテント演劇をやっていたけども「テント小屋でしか出来ない演劇」とか言うのだが(by唐組)、そんな事はなくて、テントで上演出来る戯曲は劇場でも上演可能である。

劇場で上演出来る戯曲もテントで上演可能である。

大体、『電気』『電灯』と言うものが出来るまでの演劇史なんて全て野外、半野外演劇だったし、シェークスピアは今も上演されているがリアルタイムでは野外劇だったし、其れが普通の事だった。
歌舞伎だって夜に公演をするようになったのは、歌舞伎の歴史の中では「つい、最近」である。

能にせよ、ギリシャ悲劇にせよ、そう言うもんだ。



『野戦之月海筆子』の魅力は櫻井大造氏の壮大なる抒情詩なワケで、決して舞台上での水飛沫や、松明、暴走するトラックではない。

エンターテイメントとして使っているだけで、其れがなくても櫻井大造氏の戯曲が素晴らしい事に変わりはない。


で、テント芝居って演じるのも、主催するのも、ホンっと肉体的、精神的な消耗が凄いんだよな。
唐組に居た時に「一体、この戯曲をテントでやる意味があるのかよ?」といつも思ってたもんな。


で、だ。


劇場側から『野戦之月海筆子』へメール。


劇場で観る野戦之月海筆子と言うのも凄く興味深いし、実は野戦之月海筆子は劇場で上演した事が過去がある。

とても、面白いと思うし、『テント劇場』と言う演劇の中でも可成り、敷居が高い劇場よりも観に来る人はラフに来れるんじゃないかな?と思った。

野戦之月海筆子側としてもメリットはあれども、デメリットはないだろう、と。



「ところがさぁ」

「うん」

「メール出したけど、全然、返信がないのよ」

「・・・え?」

「劇場側から送ったんだけど、全然、返信がないんだって」

「はぁ?」



何だかウンザリした。劇場側からは条件やメリットなども含めてメールを出しているワケで、其れに対して

『無言』

と言うか、それは幾らなんでも無礼過ぎるんじゃないか?って。

確かにアナクロな劇団ではある。そらぁ、21世紀にもなってテント演劇やってんだからアナクロだろうよ。

だが、WEBサイトもあり、『お問い合わせ』と言う項目もある。

テント劇団としては『曲馬館』『風の旅団』から考えれば43年の歴史を持つ劇団だ。

だが、ですよ。

『返信がない』

ってのは、幾らなんでもありえねーんじゃないか?と。


またはWEBサイトが機能していない、とかメールの設定で受信拒否にしているとか、WEBを管理している人が不在とか考えられるけども、それだったとしても「ありえねぇー」である。

その劇場側も長くやっているわけで、劣っているとか、レベルが低いワケではない。





何となく思いだした事がある。




私は高円寺周辺に住み続けて20年になる。

高円寺と言えばバンドマンだったり、舞踏家だったり、役者が多く住む場所だ。
其の中で「お!これは凄いな!」って言う奴は沢山いた。今も私が知らないだけで沢山いると思う。

楽器のテクニックは劣っているがアイデアや発想が素敵だったり、柔軟だったり、楽器のテクニックと発想が素晴らしかったり。

だが、其の中で生き残っている人は殆ど居ない。


クスリだったり

酒だったり

人格だったり

精神的に脆かったり


高円寺は自治区的なニュアンスが強い場所だが、なんと言うか『破天荒な生き様』をしなくちゃ、って言う雰囲気が何処かある。そうではない人もいるけども。


CD一枚出して消えた人、

音源を一枚も出さずに消える人

もう、誰もが覚えてない人


そんな人達が多かった。其れはそれで凄く『惜しい』モノだったけども、周囲がサポートすれば何とかなった、と言うものではない。
自らが選んだ事で、そうなった。


野戦之月海筆子の件を聞いて

「あ、こうやって優れた戯曲家や、素晴らしいアーティストってのは消えていくんだな」

と思った。

順当に行けば櫻井大造氏が書いた珠玉の戯曲達は彼が生きている間に、単なる紙屑になるだろうし、櫻井大造氏が幾つまで戯曲を書き続けられるか分からないが、其れが出来なくなった途端に、誰もが忘れてしまうだろう。

『野戦之月海筆子』は、その前身の『曲馬館』のようなデタラメをやっているワケじゃないし、その破壊衝動・・・『ハナタラシ』のように、圧倒的な破壊だけが覚えられているってワケでもない。



思えば状況劇場とか唐十郎って当時、本人達は全く自覚していなかったけどもメディア戦略は『結果的に』、良かったんだよな。

横尾忠則のポスターなんて本番3日前に出来上がったりしていたから宣伝効果は皆無だったけども、時代の波に上手く乗れた、と言うか。其れは、あの時代だったからこそ、と言うのもあるけども、勿論、唐十郎と言う戦後演劇最大の天才と言う存在を抜きにしては語れないが、その才能が消えることなく続けることが出来た、と言うのは凄いんだよな。
勿論、人には言えないような酷い事も多数やっているけども。


アート、美術、文化、工業、経済、全ては需要と供給があるからこそ成り立つ。

需要がないモノは秒速で消えていくだけだ。


『野戦之月海筆子』は需要があるか成り立っている。だが、その供給を満たしているとは本人達も思ってないだろう。
上演場所の問題や、資金やマンパワーの問題もあるだろうし。


周囲がサポートしているとは思う。ってか、私も90年代に公演に関わった事があるくらいだし、サポーターは少ないワケではない。

だけども、上記に書いたように高円寺や下北沢で活動していて、あたら才能があっても結局、消えてしまって、誰からも忘れられていく人みたいなもんで

「こうやって偉大なる才能ってのは消えていくんだな」

って言うか。


厳しい事を言えばテント演劇なんて、現代演劇の中で最も効率が悪いんだよな。ホンっと非効率的。
移動劇場としてのフットワークってのもあるけども、設置するための場所代を考えると劇場で公演している方が遥かに安上がりなんだよな。

唐組は新宿花園神社で公演をしているが、あそこって一日30万円かかるわけ。

30万円で仕込みに一日、バラシに一日掛かるから2日間、60万円をドブに捨てなきゃならない。

だったら劇場で公演している方が遥かに安上がりなんだよな。

金の話は大事な事で、下北沢や全国津々浦々の劇団が旗揚げされては、消えていく理由って2つしかなくて

①資金繰り

②男女問題

だけだ。だから、劇団が金勘定に厳しくなるのは当然で、唐組に居た頃はセットや資材破棄の為に使う『ガムテープ』の長さまで細かく言われていた。
兎に角、節約、節約の嵐で、セットに使うペンキは常に3倍に薄めて使う、とか、または人様には言えないような部分で節約したりとか。


其処までして上演する意味があるのか?って言えば唐十郎本人にはあったと思うんだけども、座員だった私には理解し難い物があった。
もしかしたら単に「唐十郎と言うのはテントで演劇をする者なのだ!」と言うだけだったのかも知れないけども。


劇団って10年以上やって、ナンボである。

20年で一人前、と言うか。


之は演劇と言うジャンルに限らず音楽でも写真家でも同じだと思う。

『曲馬館』や『風の旅団』と、『野戦之月海筆子』は別物だと考えて良いと思う。
私が年齢的に『曲馬館』も『風の旅団』も見てないってのもあるけども。

順調に行けば、2030年頃の演劇史には

「70年代に唐十郎がテントでの演劇公演を開始。それに続く劇団が多数、乱立した(黒テント、曲馬館など)」

と記載されるだろう。『野戦之月海筆子』って言う劇団を覚えている人なんて、誰もいなくなるだろう。


先が見える、ってのは嫌なもんだ。大好きな劇団ならば尚更だが、39年も生きていれば、そう言う人達を沢山みてきた。

「こうやって、才能とかアーティストは消えていくんだなぁ」

と思うだけだ。


せめてオファーを出してきた人に対して返信も出来ない人に誰が、オファー出すと言うのだ。


怒っているワケじゃなくて、失望しているだけである。

「こうやって、消えていくんだな」

って。消えてしまう事は別に咎められる事ではない。本人が選択した事なんだから。

だが、悲しい気持ちになる。

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