2017年3月14日火曜日

311

毎年、この日は皆、黙祷する。

「黙祷!」


と言う掛け声がある。一人、淡々とする人もいる。
でも、3月11日は終わってないし、現在進行形だし、被災地の復興は進んでいる、と言う話もあれば「無理」って言う話もある。
瓦礫の撤去や復興に関しては専門家曰く「早く見積もっても100年はかかる」と言う。



なんだか黙祷する事で『3月11日』を「終わったこと」にしているようなニュアンスを感じる。
だから、私は黙祷したことがない。
全く終わってないし、現在進行中の出来事を黙祷出来るのか?って。
例えば311の真っ最中と言うか、4月11日に黙祷出来たか?って言う気もする。
阪神大震災の1週間後に黙祷出来たか?って。
熊本大震災は黙祷できるか?って。



俺は馬鹿だから、理解が出来ない事が多くて、理解出来ない事を『雰囲気』とか『場の空気』とかじゃ出来ない。


昨日から今日にかけて福島第一原子力発電所のドキュメンタリーを観てみた。
あの頃、本当に俺は死ぬんだ、と思った。
そう思った人は多かったと思う。
致死量ではない事は分かる。だけども、怖かった。兎に角、怖かった。
科学的に、その放射能量が『死に至る』と言うモノではない事は理解出来たけども、科学ではなく感情だった。

脱原発デモにも参加していた。
思えば馬鹿げたデモだったと思うし、あれに参加していた自分が恥ずかしいのだけども、あの『脱原発デモ』とか『官邸前集会』とかって、『左翼的』と言うより、限りなく『ネトウヨ』に近かったよな、って思う。
ただ、怖かった。
「怖い」と言う事を誰かと、誰でも良いから誰かと共有したかっただけっていうか。

ドキュメンタリーを見ると東京電力も吉田所長も、当時の東京電力社員も死力を尽くしたんだと思う。
自衛隊が出動したが、自衛隊の分際で何も出来なかったのは、単純に『原子力発電所が爆発した際のオペレーション』がなかったから、『山火事のオペ』をやっただけだったとかさ。













当時、国や東京電力は嘘を付いている!と思った。連中が出す情報は嘘だ!って。
ネットには真実がある!と思っていたが、其れってネトウヨの発想なんだよな。
嘘を謳っていたワケじゃなくて、当時の東京電力にも国にも胡散臭い情報しか入ってこなかったし、誰にも真実は分からなかった、と言うか。

じゃあ、東京電力や国に対して「仕方がねえよな」と思えるか?って。
思えるワケないじゃん、って。
福島第一原子力発電所の事故レベルが当時はチェルノブイリ事故を遥かに超えている、とは言われていた。
事故の内容が違うので比較出来ないのに、だ。
単純に比較すればチェルノブイリ事故の1/10程度の規模だったし、1/10まで抑えたのは東京電力の死力によるものだ、と言うのは分かっていても、だ。






連日の鼻血
眼球の充血
髪の毛が抜ける





許せるワケがないじゃん、って思う。
天変地異は仕方がない、って思うよ。
街や人、と言うのは時として、そう言う無茶苦茶な方法で新陳代謝していったのかもしれないし(歴史的に考えればだが)。
じゃあ、311が天変地異だけだったか?って言えば違うでしょ、って言う。







YOUTUBEで311の動画を見る。
色々な事を思う。

この動画の7分50秒。
海に流される車が悲鳴のようにブザーを鳴らす(盗犯防止ブザーなのか、ショートによるクラクションなのか不明)。








『この世界の片隅で』と言う映画で、主人公が畑仕事をしている最中に空襲が来て、主人公が
「今・・・絵の具があったら・・・」
と、目の前の光景を白昼夢のように見るシーンがあるんだけどさ。
多分、私が『あの場』にいたら
「今、PCMレコーダーがあったら・・・」
と思ってしまうんだろうな、と思った。
死ぬほど酷い話なんだけども、7分50秒の音がクラクションがユニゾンになって美しい・・・と思ってしまう。


色々な事を思う。
色々な事を思うけど、言葉に出来ないモノばかり。
まだ、終わってない。
何を祈れと言うのか。

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